キッドとアイシャ・1
山を下りてからは、街道沿いの旅だった。
競い合う様に先を急ぐ、ごつい武器を持った二人連れは、戦場へ向かう傭兵に見えたのか、行く先々で通りすがりに会った人達は、色々な情報をくれた。
北方諸島の紛争は、確実に悪化している様子で、いずれこの辺りまで戦火は及んで来るのではないかと、誰もが心配していた。
「戦争なんか、もう十五年も前に終わったと思ってたのになぁ」
最後に泊まった宿のオヤジは、そんな風に言って、ため息をついた。
「坊やなんか、戦争が終わった頃に生まれただろうに…どうして傭兵なんかになったんだい」
キッドは、背中に斬馬刀を括り付けていたが、顔を上げた。
「俺、傭兵じゃないよ。ただの剣士だ」
きっぱり言い切って、宿を出た。
クレイは、宿代の精算をして荷物をまとめていたが、後を追った。
「もう少し食料と薬を買っておこう。この先はしばらく、宿も町もないらしい」
追い付いて、並んで歩き出した。
「傭兵と剣士は、違うのかい」
何となく聞いてみた。
「それは違うさ」
キッドは言った。
「どんな風に?」
クレイは聞いた。
「傭兵は、戦場に行ってお金を稼ぐ為に剣術を鍛えるけど、剣士は剣術が好きだから技を磨くんだ。別に一ゼニーの得にもならなくても…ね」
「キッドは、剣士なのかい?」
クレイは、もう一度聞いた。
「分からない」
キッドは言った。
「他にも好きな事はいっぱいあるし…。でも、剣術は好きだ」
「お前の父ちゃんは、剣士なんだな…」
何となく、推測で言ってみた。
「ううん、戦争中からずっと傭兵で、今も傭兵だよ」
「そうか」
クレイは、うなずいた。
「ところで、その斬馬刀、町中だと目立つな」
「うっ…」
キッドは口ごもった。
斬馬刀は、キッドの背丈より長かった。
まぁ、元々そういう刀なのだが、中肉中背の大人くらいの背丈しかないキッドが背負うと、どうしても鞘の切っ先を引きずってしまうし、そんな長さの刀だと、細身の刃でもかなりの重量だ。
斬馬刀の鞘の先端には、ゴム輪のキャスターが付いていた。
「前から思っていたんだが、それ、すごく変だぞ」
「笑いたければ、笑うがいいさ」
キッドは、自嘲的に言った。
「いや…別に笑ってないし」
クレイは、正直な所を言った。
「持ち歩けない様な腕力で、よく振り回せるなぁと思って」
「技が優れていれば、力は最低限あればいいんだよ」
それはそうかも知れないが、フーレンの基準で言う『必要最低限の腕力』というのは、もっとずっと高い所にあった。
少なくとも、持ち上げるのが精一杯の刀を装備したりはしないし、それをぶんぶん振り回しているというのも、納得出来ない。
「剣術と云うのは、そういうものなんだ」
「そういうものか」
腕組みしている間にキッドは、炒った米を普通より安く売っている露天商を見つけて、値段の交渉を始めていた。
何日か、旅が続いた。
予想外の荷物を持たされた少年は、一緒に旅をしてから初めて、ちょっと泣き言を言った。
「どうしてこんなに食料とか薬とか、買い込むんだよ。この先にも村はあるって言ってたし、山桃とか兎とかも獲れるのに」
「この先は、たぶん戦場になってると思う」
キッドの荷物を一つ持ってやって、クレイは言った。
軽装でならフーレンより持久力があるかも知れないが、野馳族はそんなに力持ちではないし、ましてや子供だ。
重装備での山歩きは、けっこう辛いに違いない。
「何千とか、もしかしたら何万の軍隊が通って行ってる。何も残ってない」
キッドはうつむいて、しばらくは無言で歩いた。
「補給部隊とかは、居ないの?普通なら…」
「普通の状態じゃないから、お前の父ちゃんも連絡が取れないんだろう?」
本気で黙り込んでしまったキッドを見て、クレイは少し反省した。
「俺は戦争中の生まれだから、どうしても最悪の事態を考えてしまうんだ。実際は、お前の父ちゃんも、俺の息子も、無事だと思うけど」
キッドは、しばらくうつむいたまま、黙って歩いた。
「父さんと母さんが言ってた。自分達のじいちゃんやばあちゃんが生まれる前から、世界中はずっと戦争をしてて、戦争が終わる事があるなんて、思ってもみなかったって」
「ああ、俺もそうだったよ。西と東が戦争をしているのは当たり前だった。
オヤジは戦死したし、俺もそうなると思ってた」
「そうならなくて、良かったね」
同世代の人間だったら、絶対言わない様な事を、さらっと言われてしまった。
クレイは、何か言い返そうとしたが、少年が言っている事は、結局間違ってはいないので、黙って歩き続けた。
最後の村に着いた時、クレイはキッドと少し話し合った。
村は、荒れていて寂れた様子で、この先には少数の猟師が住む集落と、昔に放棄された豪族の城があるだけだと言った。
「お前は、ここで待ってた方がいい」
村には宿も無かったが、クレイが村長に身分を明かして宿を貸して欲しいと申し出ると、空き家になっている家を提供してくれた。
肩書きがあるというのは、こんな時には有り難い。
しかし、何軒もある空き家は、クレイを不安にさせた。
戦争で荒れて、寂れて行った街は山ほど見て来て、それに似ていたからだ。
昔の様に大規模な戦でないのが救いだった。
「この先は、本物の戦場だ。お前の父ちゃんは、俺が捜して来てやるから…」
キッドは、しばらくうつむいて、黙り込んでしまった。
最初に、キッドに会った時の事を思い出した。
体に似合わない長刀を、苦もなく振り回す剣士が、大人に庇われたら、素直に後ろに隠れてしまったのが、不思議だった。
こいつは、俺が思っていた以上に、育ちがいいのかも知れない。
身分や家柄の話しではない。
きちんとした躾をされて、穏やかな環境で、両親に愛されて普通に育って来たのだろう。
剣術の腕は、単なる才能で、必要だから身に付けた訳ではない。
「お前、そんな刀持ってるけど、普通の子なんだろ。無理するな」
キッドは、うつむいて、考え込んだ。
「だって、母さん、泣いてたし…」
しばらくして、ぼそりと言った。
「お金に困ってる訳じゃないのに、昔の義理とか、変な事言って、みんなに心配かけてさ…。
もうあの人は、強引に連れ戻して、じいちゃんに正座で一晩中説教してもらうしかないと思うんだ」
「正座かよ…」
クレイはぼやいた。おまけに一晩中だ。
「義理だって大事だぞ」
「家族より大事かい?」
「時には…な」
族長の立場としてはそうだが、何のしがらみも無い、普通の男だったら、どうだろう。
クレイは、少し考え込んだ。
「いや…どうかな」
「俺は行くよ」
キッドは、顔を上げてきっぱり言った。
「元々、一人で行くつもりだったし、オジサンが止めても、俺は行くよ」
「そうか」
止められないのは、何となく分かっていた。
それ位なら、元々こんな子供が、一人で旅に出たりしないだろう。
「では、一緒に行こう」
キッドは、意外な顔をした。
「止めないのかい」
「止めても無駄なんだろう」
クレイは言った。
「一緒に行こう。俺が守ってやる」
キッドは、クレイを見上げた。
「ありがとう」
それから少し、うつむいた。
「でも、そんな強そうに見えない」
「評価基準が厳しいな、お前」
クレイはぼやいた。
二人は、歩き続けた。
山を越え、谷を渡り、尾根を縦走して、最後の村で聞いた豪族の城が遠く見渡せる場所まで来ていた。
異様な臭いが漂っていた。
焼け跡と硝煙と血と魔法を呼び出した跡の空気の臭い。
戦場で何度も嗅いだ、独特の嫌な臭いだった。
下手に動かない方がいいな…と、瞬時に思った。
キッドは、もっと色々な事を感じているらしく、きょろきょろ周囲を見回している。
大昔にはフーレンも、野馳族と同等の聴覚と嗅覚を持っていたらしい。
今でも時々、そんな子供が生まれる。
ただ、フーレンは野馳族と違って、何時滅んでもおかしくない稀少民族だった過去があった。
獣並みの感覚と、変身能力まで持っていたと言われているが、他の種族と積極的に混血する事で、本来の力を手放して、生き残って来た。
現に、フーレンの族長であるクレイの母親も、全く別の種族の出だ。
頑健な肉体と類い希な戦闘力は、ほぼ受け継がれたので、フーレンは、辺境の少数民族とは思えない程、混血には無頓着だった。
野馳族は、全く逆で、人数が多くて群れるのを好むので、先祖返りに近い者がけっこう生まれる。
たいがい男の方が先祖の特徴が強く出るのは、どの種族も同じだが、野馳族は特に顕著だった。
キッドは、先祖返りという程でも無かったが、耳も尻尾も人とは違っていたし、鼻面も微妙に犬っぽかった。
たぶん、自分よりは、聴覚も嗅覚も鋭いだろう。
クレイは、立ち止まった。
「嫌な感じがするが、俺にはそれ以上分からない。お前、何か感じるか?」
キッドは、上を向いて、空気の臭いを嗅いだ。
少しして、眉をひそめてこちらを振り向いた。
「俺、そんなきちっと分かる方じゃないけど」
うつむいて、言った。
「人かどうか、分からないけど、死骸がいっぱいあるよ」
「いっぱいか」
「うん」
「それ、どれくらい前のか、分かるか?」
キッドは、考え込んだ。
「分からない」
少しして、言った。
「ちょっと腐ってるかな」
「そうか」
クレイは、荷物の奥から双眼鏡を取り出して、砦の様子を眺めた。
小型だが倍率の高い、比較的高価な品物で、キッドは珍しそうにその道具を見た。
「何か見えた?」
「うん…」
クレイは、キッドに双眼鏡を渡した。
「見てみろ」
「人がいっぱい居る」
「ああ」
服装も装備も、連合のどの国の物でも無かった。かつて敵国だった西の帝国の物ですら無い。
北方諸島で見た事のある海兵と、更に北の山岳民族が入り交じっていた。
本来なら、連合側が駐屯しているはずの城だ。
「行こう」
キッドは走り出した。
「待て、迂闊に…」
近付くなと言いかけた。
人の気配が周囲を囲んでいた。
死臭にまぎれていたのだろう。本物の先祖返りの野馳族程には嗅覚の鋭くないキッドと、聴覚と夜間の視力以外の感覚は、混血が進んで平均化してしまった『普通のヒト』と大差ないクレイは、気が付かなかった。
それでも、百戦錬磨のクレイから気配を隠せたのだ。相当な手練れだ。
咄嗟に、キッドを背後に回して庇った。
威力は低いが、確実に的を狙った攻撃魔法が、木立をすり抜けて飛んで来る。
大したダメージは無くても、一度当たってしまえば、後から重属魔法を重ね掛けされて、確実に攻撃を食らう。
キッドは、うろたえなかった。
魔法防御の呪文を唱えながら、クレイの腕の下をすり抜け周囲を一瞥した。
一瞬で敵の頭数を識別し、背中の斬馬刀を潔く地面に投げ捨てた。
重属魔法に繋がるかも知れない一発目のパダムが命中する前に、ぱんという乾いた銃声が響き、木立の向こうの人影が一つ倒れた。
そのまま腰の後ろの短刀を抜き放ち、低い姿勢で移動した。
びゅうっと風切り音が聞こえた。
腕を足を斬られて、木の上から襲いかかるはずだった三人が地面に転がった。
「まだ二十人くらい居るよ」
くるりと反転して、クレイと背中合わせに立ち上がり、キッドは言った。
「ああ、知ってるけど…」
すげぇ…。何だこいつ。
周囲に潜む敵は、少なくとも二桁だ。斬馬刀の様な、一撃の威力は大きいが、振るうのに体力を消耗する武器は、長期戦には不向きだと一瞬で判断して、飛び道具と短刀の二刀流に持ち変えるセンスは、ただ事ではない。
「お前、魔法、何使える?」
まさか、本当に戦う事になるとは思っていなかった。
お互いの得意技を確認していれば、敵に重属魔法をかける事も出来たかも知れないが、今はこの場を凌げるかどうかだ。
「回復系は?」
「アプリフとリバル」
「上等だ。ミカテクト!!」
味方全体への防御魔法をかけてから、敵の真ん中に突っ込んだ。
人の波が消し飛んだ。
二人は、襲いかかる敵を蹴散らして、走り続けた。
つづく≫