「前編」


 その転校生が来た時に、クラスの皆は、誰も不思議には思わなかった。
 この学年の生徒よりは、いくぶん年上に見えたが、戦乱が続いて、学校に来られない子供も多いこの街では、同じ学年の生徒が同い年でないのは、当たり前の事だったからだ。
 野馳せりの男の子で、先生に自己紹介をしろと言われても、何だか所在無げに頭をかいただけだった。
 学校へ来るのに、本職の兵士が持つ様な刀を、教科書と一緒に下げていたのだけが、妙に目立った。

 転校生は、勉強が遅れている様子だったが、熱心だった。
 放課後まで残って、先生に質問していた。
 身形はぼろぼろだったが、本当に貧乏な家の子なら、そんな風に学校に居残っていたら、叱られるはずだった。
 ぼろぼろに見える衣服が、本当は過酷な使い方をされた高級品だという事に気が付いたのは、没落貴族の末っ子のトリッドだった。
 転校生が身に付けているのは、どれも、金のかかった実用本位の品物だった。
 最初は、自分と同じ境遇の子供なのかと思ったが、それならば、良い品物は大事に使うし、買い替える時は、もう少し安い物にするはずだった。

「君は、貧しい身形をしているが、お金には困っていない様子だね」
 父は戦死して、母親は籐の細工物を作って、家計を支えていたが、幼い頃から高級品を見慣れていたので、物の値打ちを判断するのは得意だった。
 将来は、特技を活かして、骨董屋か古物商になろうと思っていた。
 転校生は、最初、意外な顔をしたが、うなずいた。
「うん…お金に困ってはいない」
 言ってから、何だか黙り込んでしまった。
「変な事聞いて、悪かった」
 トリッドは、正直な所を言った。
「そんな、いい仕立ての服を買えるのに、ぼろぼろになるまで着てるのが、ちょっと不思議でさ…」
 転校生は、意外な事を言われた顔をした。
「何んで?まだ着られるし」
「それはそうだけど」
 貧乏なのか金持ちなのか、分からない。
 大体、教科書も中古だし、ノートやえんぴつも、古びていた。
 鞄は軍からの払い下げで良く見るタイプだった。
 ただ、護身用にしてはごつ過ぎる刀は、鞘だけ見ても素人には手が出ない品物だった。
 それ以前に、子供が持つ物ではない。
 全体的に不審な装備だったが、とりあえず悪い奴には見えなかった。
「まぁいいや。君、東区の方から来てただろ。最近物騒だから、集団下校しなさいって言われてるんだ。レニーとアリシアも同じ方向だから、一緒に帰ろう」
 転校生は、ちょっと困った顔をして笑った。
「おれ、先生に算数教えてもらうから、もうちょっと、学校に居る」
 母親の仕事を手伝わなくていいなら、トリッドも、もう少し学校に居たかった。
「早く帰らなくて、怒られないの?」
「うん」
 それから、転校生は聞いた。
「帰り道、物騒?」
「平気さ。たまに兵隊崩れの夜盗が出るけど、自警団も廻ってるし」
 その日は、それで終わった。

 翌日は土曜日だったが、転校生は弁当を持って来ていて、授業が終わってからも、図書館で本を読んでいた。
 それは、トリッドがずっと前からやりたかった事だった。
 家の手伝いもあったし、学校の給食がない日に弁当を持って来られる程には、裕福ではなかったのだ。
 声をかけたら転校生は、最初うるさそうにしていたが、相手がトリッドだと分かったら、寄って来て、自分が探し当てた本を、一緒に見ようと言った。
 自然科学と数学の本で、子供が読む本ではなかった。
「そうしたいけど、母さまの仕事を手伝わないといけないから」
 転校生は、悪い事を言ったという顔をした。
「ごめん」
「謝る事はないよ」
 トリッドは言った。
「君は、勉強熱心なんだね」
「あまり、学校に来られないから…」
「どうして?君の家は、貧乏じゃないんだろう」
「家はない。ここも、すぐに転校するかも」
「そうなんだ」
 どんな事情があるのか、気になったが、しつこく聞くのは無作法に思われたので、やめておいた。

 町外れに駐屯していた連合軍が、引き上げ始めていた。
 しばらく前までは、この先の丘陵地帯まで、帝国軍が侵攻していたが、現在は大陸橋の周辺まで撤退している。
 連合軍が引き上げてしまうのは、不安だったが、兵隊の中には、町で悪さをする連中もたまに居たし、何よりここはもう、戦場では無くなったという事が嬉しかった。
 母親が作った小間物を背中に背負って、問屋までの道のりを歩いていたトリッドは、立ち止まった。
 通りの向こうに、転校生が居た。
 背丈よりも長い弓を持った兵士と、何か話していた。
 正規軍の兵士には、あり得ない様な装備だった。
 傭兵だ。
 以前、気の荒そうな傭兵に、納品した小間物の代金をぶん取られた事があるので、トリッドは、体を硬くした。
 しかし、二人は明らかに知り合いで、仲は良さそうだった。
 立ち止まって見ていたら、転校生はこちらに気が付いて、手を振った。
 怖そうな、長弓を持った傭兵も、こっちに気が付いて、近寄って来る。
 逃げようかとも思ったが、傭兵は人の良さそうな顔で笑いかけて来たので、止まった。
「知り合いなのかい?」
 転校生に、聞いていた。
「おんなじ、クラスの…」
「そうか」
 隣まで来て、少し腰をかがめて、弓を持った傭兵は言った。
「こいつは口下手で、転校ばかりしてるから、友達居ねぇんだ。仲良くしてやってくれ」
「はい…」
 同じ野馳せりだったけれど、全然似ていないので、たぶん親子ではないのだろう。
 それでも、この傭兵が保護者なら、お金はあるけど、転校ばかりしていて、学校にもあまり来られないというのも、納得が行った。
「親の手伝いかい?」
 背中の荷物を指して、傭兵は聞いた。
 うなずくと、転校生の肩をたたいて、言った。
「重そうだから、手伝ってやれよ」
 断ろうとしたが、転校生は背中の籠から、包みを半分出して、持ってくれた。
「じゃあ、俺は先に行くからな。次の仕事が入ったら、手紙で連絡する。
 下宿屋の小母さんの言う事、ちゃんと聞いて、普通に生活するんだぞ。ここは、戦場じゃねぇんだから」
「分かってる」
「元気でな」
 野馳せりの男は、割合あっさりした別れの言葉を言って、去って行った。
 二人は、しばらく小間物の包みを下げて、一緒に歩いた。
「今の人、君の父さまかい?」
「違う」
 転校生は、首を横に振った。
「そうだったら、いいと、思うけど」
「うん、優しそうな人だったね」
 傭兵にしては…という言葉は、言わないでおいた。
「しばらく、この街に居られるの?」
 二人の会話からして、転校生だけが、ここに留まる様子だったので、聞いてみた。
 転校生は、すごく嬉しそうな顔をして、「うん、半年くらいは…」と、答えた。

 二人は友達になった。
 転校生は、サイアスという名前で、今年で十二歳になるのだと言った。
 頭一つ分、自分より長身の友達が、一つ年下だと知って、トリッドは驚いた。
「そう言えば、野馳せりって、たまにすっごく大きい人が居るよね」
 日課になった、荷物運びを手伝ってもらいながら、言った。
 年の割に大柄なのを気にしているのか、転校生はちょっと背中をかがめた。
「気にするなよ、猫背になるぞ」
「と…トッドは、普通だから、そんな風に言うんだ」
 どこの訛なのか、サイアスは、トリッドの発音が出来なかった。
 普通の会話も訛っていたし、東連合にも色々な国があるから、たぶん、遠くから来たのだろう。
 どの辺だろうなぁ…と、考えていたら、サイアスは、ずざざーっと、素早い動きで物陰に隠れた。
 クラスメイトのレニーが、一人で歩いていた。
 この辺では珍しくない、種族が良く分からない混血の女の子で、ふわっとした巻き毛が可愛かった。
「ダメじゃん。アリシアも一緒に帰らないといけないのに」
 親の手伝いで、自分も集団下校を抜けているのだが、連れが居ない事に、文句を言った。
「…み、見張らないと」
 サイアスは、不振な事を口走った。
「見張る?」
 レニーを尾行したせいで、納品が少し遅れたが、どうせ午後からの納品は、明日発送になるからと言われて、少しほっとしていいる様子だった。
 トリッドの帰宅が遅れたのは、家まで同行して、一緒に謝ってくれた。
 意外だったのは、厳格な母親相手に、とても礼儀正しい受け答えをして、「中々良い友達を見つけましたね」と、言われた事だった。
 その事を聞くと、祖父が剣法道場の師範で、とても厳しい人だったと、何だかぼそぼそした口調で語ってくれた。

 サイアスは、下校するレニーの後を、相変わらずつけ回していた。
 いくら、まだ子供でも、女の子の後を尾行している理由なんか、あんまり色々は無かった。
「レニーが好きなら、言えばいいのに」
 サイアスは、ぎゃっと言って転んで、それから、半分持っていてくれていた籐細工を、あわてて拾った。
 どこも傷んでなかったので、安心した様だった。
「うー」
 変な声を出した。
「レニーは、可愛いからな。振られるかも知れないけど」
「そ…そういうんじゃ、なくて」
 何だかぽりぽり頭を掻いて、言った。
「どうせ、すぐ、転校するし…」
「そうなんだ」
 生活には困っていて、色々な不安はあったけれど、他の場所へ引っ越す様な事は、一度も経験していなかった。
 どんな感じだろう。
 寂しい事の様に思えたし、ちょっとわくわくして、楽しい気もした。
「でも、俺なら言うな」
「そう…?」
「だって、どうせ、すぐ転校するなら、振られたって、あんまり、気まずくないし…」
 しばらく歩いてから、何だかちょっと、ひどい事を言ってしまった気がした。
 謝ろうと思って、横を向くと、サイアスは、何か変な風に勘違いしたガッツポーズで立ち止まって、燃えていた。
「あの…一応言うけど…」
 手遅れになりかけている事を自覚しつつ、トリッドは言った。
「僕のアドバイスも、間違っていたと思うけど、君も何か、変な感じに間違ってるよ」
 年下で長身の新しい友人は、人の意見はあまり聞かないタイプらしかった。

「キモい」
 一撃で振られた。
「あの…もう少し具体的な意見を言ってあげてはどうかな?」
 横で見ていたトリッドは、忠告した。
「本人も納得してないみたいだし…」
「あたし、乱暴な男の子は、嫌い」
 レニーは、具体的な意見を述べた。
「サイアスは乱暴者じゃないぞ。どちらかというと、大人しい犬だ」
「友達を犬扱いかよ」
 レニーはつっこんだ。
「ワン」
「お前も同調するな」
 びすっと、レニーの裏拳が、サイアスの胸元に当たった。
 サイアスは、トリッドを小脇に抱えて、教室の隅に引きずり込んだ。
「レ…レニーって…」
「うん、顔は可愛いんだけどね」
 トリッドは口ごもった。
「少し変わり者だ」
 サイアスは、考え込んだ。
「いや…でも、性格が悪いとか、そういう訳じゃないし、女の子を顔で判断して告白した君にも、多少の非はあると思うんだ」
「別に、弁解してくれなくても、いいわよ」
 近付いて来て、話しかけたレニーの手を、サイアスはがしっと握った。
「ステキだ…」
「ひぇっ」
 手を握られたレニーは、下半身だけ後ろに下がった。
「とりあえず、お友達から…」
「だから、イヤだって言ってるのに」
 握られた手を振り払おうとして、失敗したレニーは、サイアスの顔面にケリを入れて逃げて行った。
「ぼ…僕は、諦めるのも一つの勇気だと…」
 交際を勧めたくせに、トリッドはいいかげんな…とは言えもっともな意見を言った。
「ガッツ」
 何がガッツなのか、第三者には全く分からないが、サイアスは燃えた。
「ガッツじゃねぇ」
 レニーは、わざわざ引き返して、ケリを入れた。
 どの辺が、乱暴者は嫌いなのか、謎だった。

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