「後編」「前編」
意外な事だが、三人は、その後友達として、割合良く連む様になった。
レニーも、サイアスと付き合うつもりはないらしかったが、友達付き合いする分には、特に異存はない様子だった。
とは言っても、レニーもトリッドも、この辺りではありがちの、あまり裕福ではない家庭の子供だったので、遅くまで学校に残っているサイアスとは、帰りは別になる事が多かった。
「トッドと一緒なら、安心」と、サイアスは言った。
トリッドは、少しどきりとした。
自分も、レニーの事は、付き合う程ではないが、嫌いではなかったのだ。
「何で」
「貴族の子なら、剣術くらい、習っているだろ」
「ああ、そういう…」
防犯上の安心だったらしい。
大体サイアスは、年の割に現実的な子供だった。
「でも、父様は軍人じゃなかったし、僕も、基本の型を少し教わった程度だよ」
貴族でなかったら、父親は戦場に行ったりしなかっただろう。
本当には、父様は考古学者になりたかったのだ。
でも、こんなご時世では、貴族は皆、軍人になって平民を守るのが使命だった。
貴族も平民も、皆戦争を望んでいないのに、どうしてこんな事になるのだろう。
「基本か…」
サイアスは、ちょっと考え込んだ。
「無いより、まし…」
「ましって、何だよそれ」
常日頃、素人が使うには、高価過ぎる刀を持ち歩いているサイアスだ。
たぶん、傭兵をしている養父から、色々な教育を受けていると思われる。
そのサイアスから、ましと言われたのだから、ましなのだろう。
「危ない時、逃げる足しくらいには…」
その程度のましかよ…とも思ったが、その程度以下の実力なのは、自分で分かっていた。
「うん、逃げるくらいなら…な」
自分は逃げられなくても、レニーを逃がす事くらいは出来るだろう。
それから、こんな事を言い出すサイアスは、たぶん、大人相手でも、そこそこはいい勝負が出来るのだろうと思った。
いずれは、養父と一緒に、傭兵をするか、正規軍に志願するつもりなのだろうか。
目の前の、何だかぼーっとした感じの友達が、そんな者に向いている様には、思えなかった。
トリッドの考えが、全然違っていたと分かったのは、それから暫くしてからだった。
土曜日で、サイアスや、他にも何人か、ある程度余裕があってもっと勉強したい子供や、色んな事情で学業が遅れている子供が、居残っていた。
トリッドは、レニーをバイト先まで送ってから、母親の仕事を手伝う予定だった。
バイトは、夜が更けたら帰らせてもらえるとは云え、酒も出す様な店の給仕で、そんな仕事に母親は、良い印象は持っていない様だったが、働かなくては食べていけない事情も、知っていた。
「女の子一人では危険です。お前が送り迎えをしてあげなさい」
貴族は平民を守るべきだというのが、古い家柄で育った母親の考えだった。
別に、平民の払った税金で食べさせてもらっている訳でもないし、どちらかというと、世間一般より貧乏なのに、そこまでする義理は無いと、トリッドは思っていた。
母親の仕事を手伝う時間が減れば、それだけ収入も減ってしまうのだ。
でも、レニーは友達だったから、母親の命令も、嫌だとは思わなかった。
盛り場の辺りまで来た時に、柄の悪い一団がたむろしているのを見たが、珍しい事では無かったので、路地へ入って迂回して行こうと考えた。
一団の一人がこちらに気付き、あっという間に六人ほどの男達に囲まれた。
何か、子供には理解しにくい、嫌な感じの冗談を言いながら、男の一人がレニーの腕を掴んだ。
「そういう話は、お店に居るお姉さん達にして。あたしはやってないんだってば」
男の腕を振り払おうとした。
いくら子供でも、こんな町に住んでいれば、何の話か分かった。
レニーは可愛い娘だったし、その頃のトリッドには分からなかったが、年の割に色っぽかった。
「やめてください。彼女はこれからバイトに行かなくちゃならないんですから」
止めようとしたトリッドは、一撃で吹き飛ばされて、壁に叩き付けられた。
しばらく、息が出来なくて、起き上がれなかった。
レニーは、こちらを見たが、助けてとも言わなかった。
言っても仕方ないと思ったのだろう。
男達に引きずられて、どこかへ連れて行かれてしまった。
逃げる足しにもならなかった。
無理に立ち上がったが、頭がくらくらした。
少しの間、トリッドは呼吸を整えて、男達の後を追おうとした。
それから、少し考えた。
このまま後を追っても、助けるのは絶対無理だ。
僕一人じゃ、逃げる足しにもならなかった。
サイアスは刀を持ってた。
この時間なら、まだ学校に居るはずだ。
力を貸してもらおう。最悪でも、刀だけ貸してもらおう。
トリッドは、全速力で学校に引き返した。
思った通りサイアスは、図書館で二三人の生徒と一緒に、先生に勉強を教わっていた。
今日は書き取りだった。
「レニーがさらわれた。助けてくれ」
トリッドが叫ぶと、先生は教科書を取り落とした。
「え!」
「だ…誰に?」
立ち上がったサイアスは、もう、刀を腰に差していた。
「分からない。身形は傭兵か何かに見えた。えっちな店のお姉さんにする様な事を、レニーにするつもりだ。きっと」
こんなに素早く動く人間を、今まで見た事が無かった。
トリッドの腕を掴んで、半ば引きずる様に、全速力で駆け出した。
「待ちなさい。危険だから、自警団に…」
止める先生の声が、背後に聞こえた。
レニーが連れ去られた場所で、暫く空気の臭いを嗅いだサイアスは、迷わず街外れの盛り場を突っ切った。
種族に関わらず、彼のように先祖の特徴が強く残っている者は、聴覚や嗅覚が鋭いとは聞いていたが、実際にその能力を見るのは初めてだった。
レニーのバイト先の店を過ぎ、繁華街も横切って、昼間でも薄暗いスラム街に入っていた。
周囲の人々は、場違いな子供二人をじろじろ見たが、サイアスは物怖じせずに歩き回り、ふいに、廃屋の戸口の前で立ち止まった。
ここに居るのだろうか…と、トリッドが考える間もなく、サイアスは、いきなり木戸を蹴り破った。
「出て来いコラぁ」
普段からは想像できない様な凶悪な口調で、入口の周辺に散らばったがらくたを蹴散らして怒鳴った。
奥の方から、気配があった。
駆け込んだ先に、男達とレニーが居た。
半分ほど服を脱がされて、年齢の割にふくよかな胸が露わになっていた。
怯えた様な表情のレニーと目が合ったトリッドは、どうしていいか分からなくて動けなくなったが、男達が武器を持っていて、それを手にするのは、奇妙に冷静に視界に入った。
声が震えた。
「武器を持ってるよ」
「知ってる」
サイアスの声は、いつも通りだった。自分の刀を、抜こうとさえしていなかった。
「ごめんよ、こんな事に巻き込んで」
いくら養父が傭兵でも、サイアスだって子供なのだ。それに、忘れてたけど、自分より年下だ。
「おれこそ、ごめん」
サイアスは言って、一歩、前へ出た。
自分を庇う様に、回り込んで、男達を見下ろした。
「貴様ら、何処の所属だ」
それがあまりにも、命令する事に慣れた、軍人の口調だったので、男達は一瞬、素で答えてしまった。
「はっ、第二遊撃隊、外注部隊です」
「いや、お前ガキ相手にマジで答えんでも」
「第二遊撃隊は、帝国軍の撤退で、解散したはずだけど」
サイアスは静かな口調で言ったけど、良く見るといつの間にか刀を抜いていた。
剣術や格闘はあまり才能のないトリッドだが、目利きは確かだった。
鞘に収められた状態でも、素人には手が出ない刀に見えたが、抜き放った状態のそれは、反則だった。
すんごい業物とか、それ以前に、何人斬ってるんだよ、その刀。変なオーラ出てるぞ。
「悪いけど、その娘、おれの友達だから、放してくれる?」
放せ、おっさん。命が惜しかったら放せ…と、トリッドは内心叫んだ。しかし、世の中の誰もが、彼の様な目利きではなかった。
「放さなかったらどうなるんだ、この、くそガ…」
セリフは言い終えられなかった。
サイアスが動いたのと、刀が翻ったのは、辛うじて見えた。
男の腕から剣が落ちて、次の瞬間血が噴き出した。
でも、斬る瞬間は、全く見えなかった。
男は悲鳴を上げてうずくまったが、懐にあった手ぬぐいで傷口をきつく縛り、すぐさま回復魔法をかけた。
すけべでアホなおっさんでも、現役の傭兵はやっぱりすごいな…と、トリッドは思った。
でも、それじゃあ、サイアスは何?
「どうして欲しい?くそ野郎」
反撃に出かけた連れを、仲間の一人が押さえた。
「止せ。こいつ、フェリーニと組んでるサイアスだ」
「ええ?こんなガキかよ。若いって聞いてはいたけど」
おずおずと、半裸のレニーを、全面に押し出した。
「いや…死に神部隊のお友達なんてね…へへ…知らなくて」
「知らなくてもするな、殺すぞ。レニーは十三歳だぞ。ロリコンオヤジ」
「うそっ。十八だって聞いて…」
その時、震えていたレニーが、お祈りのポーズを取った。
「ごめん…十三だと雇ってもらえないから、サバ読んでた…」
「ええっ?」
サイアスは固まり、男達は逃げ、トリッドはその場の収集が付かなくて、ただうろたえるのみだった。
「おれ、現役の傭兵なんだ」
翌日、サイアスは言った。
結局、レニーを家まで送り届けたり、何やかやで帰りが遅くなり、事情を説明しなかった母親には叱られた。
日曜日で、学校も、色んな仕事も、おおむね休みだった。
トリッドは、サイアスが下宿している宿を訪ねた。
予想に反して、普通の学生が多かった。
何だか、とてつもなく恐ろしい傭兵集団が湧いて出そうな気がしたのだが、ひなびて貧乏くさい、昔ながらの下宿屋だった。
サイアスが借りている部屋は、四畳半一間で、お湯を沸かせる程度の水回りは付いているが、食事や風呂や便所は共同になっていて、部屋にあるのは布団だけだった。
「九歳の頃から、ずっと傭兵やってる。黙ってて悪かったけど」
「そうなんだ…」
どんな事情でそんな事になってしまっているのか、聞いてみたい気もしたが、出来なかった。
誰にだって、事情はある。
名家の出の母親と、下級とは云え一応貴族の父親が所帯を持ったのに、こんな暮らしをしているのにだって、事情はあった。
あんまり、人には話したくない。
「レニーは怖がるかな?」
お茶を出してくれながら、サイアスは聞いた。
「うん、あんな目に遭ったんだから、少しはね」
出されたお茶を一口飲んで、トリッドはため息をついた。
いいお茶だった。それに、上手に入れてある。
野戦用に持ち歩かれる様な、でこぼこになった金属製のカップに注いであるが、美味しかった。
「でも、助けてくれたのは君だし、きっと感謝してると思うよ」
もう一口、お茶を飲んで、付け加えた。
「僕は何も出来なかったし…」
「そんな事ない」
顔を上げて、サイアスはきっぱり言った。
「トッドは勇敢だ」
「そうかな…」
トリッドは、少し照れた。
「でも、次からは、殴られる前に逃げろ」
「君が、逃げる足しにくらいはなるって言ったんだ」
サイアスは、横を向いて頭をかいた。
「…そこまで、弱いとは…思わなくて」
「何げにひどいな、君は」
まだ少し腫れている顔で、トリッドは睨んで、そして二人は、ちょっと笑った。
それから後も、二人は友達だった。
二月後、レニーは母親に連れられて引っ越して行った。
「折角助けてもらって、悪いんだけど…」
レニーは、何だかバツが悪そうに、困った顔で笑った。
「あたしも、次に行く町で、母さんやお店の姉さん達と同じ仕事をする事になるみたい」
トリッドは、どう言って見送っていいのか、分からなかった。
言葉の意味が分からない程には、子供ではなかった。
「元気でね」
と、だけ言った。
買いに行くから、住所教えろと言ったサイアスは、タコ殴りにされて地表に転がった。
無頓着にそんな事が言える友人が、少し羨ましかった。
きっちり半年後、あの長弓を持った傭兵が、戻って来た。
次の仕事だ…と、声をかけ、サイアスはうなずいて、そしてこの町から居なくなった。
何度か、元気で居るという手紙は届いたが、こちらからの手紙は全部、宛先不明で戻って来た。
二人がもう一度会ったのは、二十年以上過ぎてからだった。
戦争は事実上終わっていたが、小競り合いは続いていたし、骨董品と実用品を同等に扱って来た店では、客足は途絶えなかった。
マニアックな長刀の備品を注文して来た客に、店員が対応しきれなくて、トリッドは久し振りに店頭に出た。
街角の骨董屋から身を起こして、中古武器の販売とメンテナンスでは、業界最大手のチェーン店だと自負していた。
店先にぼんやり立っている、細長い男を一目見て、サイアスだと分かった。
いや…分かったけど、細長過ぎだ。そんなに成長するな。絶対二メートル以上あるだろ。
サイアスは、こちらを見た。
少しの間考え込んで、それからふいに、驚いた顔をした。
「…トッド?」
「うん…」
トリッドはうなずいた。
「久し振りだなぁ。元気だったかい」
訪ねると友人は、昔と同じ顔で、笑った。おわり