2.
何回も、春が来て夏が来て秋が来て冬が来た。
色んな町や村を、何回も通り過ぎ、たまには親切にされたけれど、たいていは、汚い身なりでかっぱらいをしている浮浪児は、邪険に扱われた。
それでも、徹底的に追いつめて、町から追放される様な事はなくて、仕方のないガキだ・・・くらいの扱いだった。
子供は、色んな事を学んだ。
たいていは、悪さをしてぶん殴られて、体で憶えた事だが、たまには、無償で色々な事を教えてくれる大人も居た。
盗み聞きや、こっそり見て憶えた事もあった。
効率良く盗む為に、店の看板程度の文字は、読める様になった。
ただ、時々聞かされる「人喰いのバケモノ」とか「奴らはモンスターと同じだから・・・」とかいう言葉の意味は、分からなかった。
ごくまれに、自分に向かって、そう言う人が居る。
子供はもう、悪ガキで泥棒で、自分がどこから来たのかも忘れて、親兄弟の顔も、おぼろげにしか思い出せなかった。
それでも、人なんか喰いたくなかったし、モンスターの親戚なんか居なかった。
自分が、本当に数の少ない、少数民族の出だという事も、何となく知った。
同族には、一度も会う事は無かった。その村に着いたのは、夏の始めだった。
豊かな農村で、迷子になって初めてたどり着いた村よりは大きい集落だったが、そういう農村の常で、子供にはやさしくしてくれる。
ただ、小さい村にありがちの、よそ者を受け入れない性質も、子供はもう、理解していた。
迷子になった子供を装えば、少しの間は親切にしてもらえるだろうが、バレたらもう、村には居られない。
たちの悪い浮浪児を黙認してくれる期間より、それは短いので、子供は後者を選んだ。
前に居た商都で、非道い目に遭った後だった。
また、捕まって売られそうになって、長い間軟禁されて、弱ったまま旅をしたので、疲れていた。
ちょっとでもいいから、定住して落ち着きたかった。
本能的に、村の中で黙認してもらえそうな、半分朽ちた納屋を見つけて、そこの折れそうな梯子を上がった中二階で寝た。
何日か居て、誰もとがめなかったので、しばらくここに居る事にした。村の者は、子供に気が付いていたが、大して気にも留めていなかった。
子供が泥棒だとは、思わなかったのだ。
物乞いでもして来たら、残り物でもやって、畑仕事を手伝わせようと考えていた。
その日の内に、小屋の中のニワトリが一羽、行方不明になったが、子供は疑われなくて、野犬のせいにされた。
翌日も、その次の日も、子供は食べ物をねだりに現れなかったので、大人達は、あれはただの浮浪児ではなくて、盗人かも知れないと話し合った。
「何か、盗られた者は居るかね」
「おれの弁当が、一回無くなったくらいだよ。あいつが昼間、出歩いてるのも、見ないしな」
「昨日、川辺で水を飲んでいるのは見たよ。ずいぶん弱っているみたいだったが、病気じゃないのかね、あの子は」
「変な流行病でなければいいが」
泥棒かどうかより、そっちの方が問題だった。
「明日、誰か様子を見に行ってみろ」
「そうだなぁ。様子を見てから、大旦那に相談すればいいだろう」
この辺の地主は出来た人物で、大旦那と呼ばれて、何かと頼りにされていた。それに、納屋も彼の所有物だった。
相談が終わったので、皆は仕事に戻った。子供はその頃、納屋の中二階に積まれた、もう使えなくなった農機具と、古い麻袋の間に横になって、おれはもうだめだと考えていた。
たまに、変な物を食べて、腹をこわしたり、風邪をひいたりする事はあったけれど、病気らしい病気になった記憶は、生まれてこの方無かった。
「ああ、おれはこのまま、死んじゃうのかな・・・」
声に出して言ってみると、何んだか悲しくなった。
水が飲みたかったけれど、梯子を降りる気力が湧かなかった。
おととい食べたニワトリは、羽と頭の骨と足以外残っていなかったが、ちょっとイヤな臭いがし始めていた。
「思えば、つまらない一生だったな」
「オタフク風邪くらいで、何言ってんだか・・・」
他人の声がしたので、横を向くと、梯子の所から子供が顔を出していた。
女の子で、タンポポみたいに広がった巻き毛を、無理矢理麦わら帽子に押し込んでいる。
こっちを見て、目が合った。
むっとした様な表情をしているが、怒っている訳でもないらしく、ずかずか梯子を上がって、近付いて来た。
「そんなの、二三日寝てれば、治るわよ」
「そうなの・・・?」
見れば、自分と同い年くらいの子供なのに、どうしてそんな事を知っているのだろうと思った。
「あんた、その顔、冷やした方がいいよ。ぷくぷくになってる」
確かに変な感じなのだが、鏡なんか見たことないので、どう変なのか分からない。
「どうやって・・・?」
「お水でよ」
女の子は、言った。
「それより、水飲みたい」
敵でない人間は、何となく分かったので、子供は少し、甘えてみた。
女の子は、ちょっと考えてから、どこかへ行ってしまった。
大人が呼ばれて来て、それからまた、人買いに捕まってしまうのではないかと、子供は緊張したが、女の子は一人で戻って来た。
古びた桶に、水を汲んで来て、それに浸した手ぬぐいを顔に当てて冷やしてくれた。
桶から直接水を飲んでいたら、それはお行儀が悪い事なのよ・・・と、言って、どこからか、欠けたコップを一つ、持って来て、置いて行った。
その晩は、ぐっすり寝て、翌朝にはずいぶん、熱が引いて楽になっていた。翌日、村人が見に来た時には、子供はもう、居なかった。
朽ちた梯子は、大人の体重を支えられなかったので、梯子を運んだりして、一仕事になったのだが、見つけたのはニワトリの骨と、空の弁当箱と、水が半分入った桶だった。
「やっぱり盗人だったな、あのガキ」
「ニワトリ以外は、大した物盗ってねぇけど・・・この桶は、捨ててあったやつだし」
「出歩いてるなら、大した病気でないかも知れないが。大旦那に相談するかね」
弁当を盗られた男は、新婚で愛妻弁当だったので、ぶつぶつ言ったが、結局、人手を割いて追い詰める程の泥棒でもないので、納屋の梯子を打ち壊して、終わりにした。
住む所がなくなれば、出て行くかも知れなかったし、後は成り行きを見る事にした。子供は、朝起きて、体調が良くなっていたので、村はずれの森まで出かけ、鳥の巣から卵を盗ったり、セミを捕まえたりしていた。
みんみんゼミの方が、油っこくておいしいのだが、まだ、地面から出て来ていなかったので、ちっちゃいセミを、何匹か食べた。
たくさん人の居る都会では、バレない様に盗む技術の方が大事だったが、人の少ない農村では、食べ物はなるべく、自分で見つけた方が、長い間同じ場所に居られた。
物足りなかったので、夜になってから、民家で少し何か盗って来ようと思った。
納屋に戻ると、梯子が壊されていて、大人の男達の足跡が、無数についていた。ここは、やばい。
森に戻って、木の上に寝る場所を作った。
森にはモンスターが居たが、木の上まで来る様な鳥系のモンスターは、夜は寝ているし、地面に居るたいていの連中より、子供はもう、強かった。
梯子が壊されていても、上にあがるのは、子供にとって簡単だったので、水桶と、麻袋を何枚かもらって行った。
女の子にもらった欠けたコップは、大事に持ち歩いていた。
木の枝にひっかけると、分厚いガラス製だったので、夕日できらきら光った。
いい物をもらったなぁと思って、陽が沈むまで、ずっとながめていた。女の子とは、何日か経ってから、また会った。
木の上で昼寝していたら、しっぽの先を、軽く摘まれた。
「うわぁ」と、間抜けな声をあげて、木から落ちたら、あの子が居た。
籐で編んだカゴに、草を詰め込んで、小脇に抱えていた。
「あんたって、割と間抜けなのね」
「お前はしっぽがないから、わかんねーんだよ」
反論したら、女の子は少し考えて、言った。
「あるわよ、短いけど。見る?」
スカートをめくり始めたので、止めた。
「いいよ、別に」
女の子は、カゴの中から、何枚か葉っぱを選んで、差し出した。
「はい、これ」
「何?」
「薬草。知らないの?熱冷ましと、毒消し」
「お前、医者なのか」
「そんな訳ないでしょう。医者なのは伯父さんよ」
「インテリなんだな」
「伯父さんはね・・・」
女の子は、肩をすくめた。
「ウインディアの御殿医に弟子入りしてたんだって・・・。
あたしも、将来はお医者になるかも知れないけど、まだ分からないわ」
「ふうん」
もらった葉っぱは、懐に入れた。
「伯父さんじゃなくて、お前の親は何をしているんだい。やっぱり百姓なの?」
自分の親が作った物を盗んだら、この子は気を悪くするだろうか・・・と思った。
「父さんと母さんは、昔に死んだわ。どこかの鉱山から、鉄道を引く仕事をしてたらしいけど」
「鉄道って何」
子供は、木から降りて、女の子の横に座った。
「話すと長いわよ」
「いいから話せよ」
女の子は、鉄道の話を始めて、子供は半日、それに付き合った。
夕方に、こんなに遅くなったら、伯父さんにおこられると言って、女の子は帰って行った。
帰る時に、あんたって、顔の腫れが引いたら、けっこうハンサムね・・・と、言われた。
顔の造作には別に興味はないけど、悪い気はしなかった。
女の子は、翌日も来たけれども、子供は、食べて行くだけで精一杯だったので、昨日と同じ場所には居なかった。
何日かして、また会った時には、女の子は少しむっとした表情をしていた。
「待ってたのに」
「何んで?」
「伯父さんが、あんたに食べ物を分けてあげてもいいって・・・」
「本当?」
「でも、二日も居ないから、くさった」
「げ・・・もったいねぇ」
「代わりにこれあげる」
スカートのポケットから、欠けた半切れのビスケットを出して来た。
ちょっとひなびた味がしたが、お菓子は一年振りくらいなので、夢中で食べた。
「何んで、伯父さんは、おれに食い物をくれるって言ったんだ?」
ただで何かしてくれる大人は、用心しなければいけない事は、知っていた。
「地主の大旦那と、村の皆んなで決めたのよ。あんたにニワトリを盗まれるより、ニワトリや畑の世話をさせて、食べ物をあげた方がいいって・・・」
今までも、そうやって仕事をくれて食べさせてやると言った大人は、何人か居た。
子供は器用だったので、与えられた仕事は、たいていこなしたが、自分の近辺で、物や金がなくなると、すぐに疑われた。
罪を着せられて我慢する性格ではなかったので、たいがい長続きはしなかったし、元々泥棒なので、本当に盗んでいた事もあった。
でも、一カ所に落ち着いて居られなかった理由は、別にあった。
虎人は、人喰いのバケモノだ。虎人は、高く売れる。
もっと変わった外見をした種族は、たくさん居るのに、そんな風に扱われるのは、虎人だけだった。
ここの村の人達は、自分が虎人だと知らないのか、虎人を知らないかの、どっちかだ。
「おれは、百姓なんて出来ないよ。向いてないし、村の人だって、泥棒と一緒に、ずっと暮らしたいとは思わないだろ」
女の子は、鼻の頭にしわをよせて、子供を見上げた。
それで、ちょっと、悪い事を言ったかな・・・という気持ちになった。
「別に、少しの間だけ、働かせてもらえるなら、そうするよ。
どうせ、ちょっと休んで元気になったら、ここも出て行くつもりだったしな」
「じゃあ、伯父さんにそう言う」
女の子は、帰りかけたので、もうちょっと話をしたかった子供は、引き留めた。
「待てよ」
「何?」
「今日は、鉄道の話は、しないのか」
鉄道の話をしている時の、女の子の表情は、理由は分からないけれど、好きだった。
立ち止まった女の子は、振り返って、すごく辛そうな表情をした。
「伯父さんは、鉄道が嫌いなの」
「お前が好きなら、いいじゃん」
女の子は、悲しそうに笑った。
「世の中は、そんなに単純じゃないのよ」
「ちぇ、ガキのくせに、世間ズレした商売女みてーな事言ってよ・・・」
鼻面をぶん殴られてから、二、三秒して、我に返った。
「ガキはどっちよ。あんたが変な病気だったら、皆んな納屋ごと焼き払うつもりだったのよ。伯父さんがお医者でなかったら、あたしがオタフク風邪だって言っても、信じてもらえなかったわよ」
女の子は、泣きながら走って行ってしまった。
名前も聞いていなかったのに、どうしようと思った。
《つづく》