僕とおじさん、北へ・1
フーレンの族長クレイは、旅路を急いでいた。
お忍びの旅である。
お忍びというのは、もちろん、有名な人が秘密でこっそり旅をするという意味だが、この場合ちょっと微妙だった。
むろん、フーレンの族長クレイは有名人だ。
少数民族フーレンの族長であると同時に、東側連合の攻守を預かる参謀長官でもある。
ただ、クレイ本人の外見を知っている者は、少数だった。
今現在、こうして旅を続けているクレイは、単なるフーレンの旅行者だった。
こんな旅に出る事になるには、少々事情があった。
たぶん、おれは親バカなんだろう…と、クレイは思った。
だったら、それはそれで、もうちょっと素直に認めていれば…。
争い事をする声に、クレイは立ち止まった。
つづら折りになった山道の、丁度藪を挟んだ下の方から、数人の男達と、子供の声が聞こえる。
男達が盗賊で、子供が被害者なのはすぐに分かった。
持っている金と荷物と、それから刀を渡せと言っているのが聞こえる。
それほど物騒な地域ではないが、女子供が一人旅で通る様な街道でもない。
クレイは、山道を無視して、一直線に藪を駈け降りた。
眼下に、五人ほどの山賊と、それに囲まれた子供が一人見えた。
すらりと背の高い少年の様に見えた。
背丈は高いが、大人ではない。
顔立ちも身形も子供で、それに声も甲高い子供のそれだった。
「物盗りか、お前達」
子供の剣士だった。
自分の身の丈よりも長い刀を背中に背負って、腰にも一つ、短刀を挿している。
斬馬刀だった。
歩兵が、騎馬兵を地上から叩き斬る為に作られた、重くてくそ長い無骨な刀だ。
いくら大人並の背丈があっても、きゃしゃな子供が持つ刀ではない。
おそらく背中の斬馬刀は、事情があって持っている荷物で、腰に差した短刀が自分の武器なのだろう。
五人の盗賊の内、二人はかなり魔法も使えそうだった。
子供一人では、荷が勝ち過ぎる。
加勢するつもりで、藪を走り抜けたクレイは、道に飛び降りようとして、止まった。
少年が手をかけたのは、腰の短刀ではなく、背中の斬馬刀だった。
低く身構え、信じられない動作で、自分の背丈より長い刀を、造作なく引き抜いた。
一瞬で、前列にいた盗賊二人の胸元が切り裂かれた。
二人は飛び下がり、上着がばらりと地面に落ちた。
「次は命を取るぞ」
子供は言った。
不思議なイントネーションの言葉だった。
微妙に、西側のなまりがある。
「立ち去れ」
後衛に居た盗賊が、攻撃魔法の印を踏み始めたのを見て、クレイは道に飛び降りた。
盗賊が魔法まで使って来るとは思わなかった子供は、後ずさった。
「バカ、こういう時は前へ出るんだよ」
飛び降りざまに、丸太に取っ手を付けた様な無骨な武器を、ぶうんと一振り、回した。
分類で言えば、斬馬刀に近いが、もっと重くて長くて、無骨な武器だ。
たいがいの敵は、その剛腕で繰り出される衝撃波に、かすっただけでダメージを受けてしまう。
「え…誰?」
子供はうろたえて、クレイと盗賊を見比べた。
仲間が加勢に来たと思ったのだろうか。
固まっている子供を、ぐいと背後に下げて、庇った。
あれだけの剣技を見せたのに、子供は庇われるままに任せて、クレイの後ろに隠れてしまった。
大人を頼りにしている、普通の子供の反応だ。
子供の腕前からすれば、こんな盗賊は一人で軽くあしらってしまえるはずだった。
それを、見ず知らずの大人に頼っているのは、たぶん…。
「坊主、腕は立つが、人を斬った事はないな」
子供は、むっとした表情で、クレイを見上げた。
「動物やモンスターなら、山程斬ったさ。何事も最初ってもんはある」
クレイの背中に隠れるのをやめて、盗賊を睨みつけた。
「気に入らない相手だが、こいつらが最初だ」
盗賊達は、後ずさった。
子供の脅しに乗った訳ではなく、フーレンが加勢して来たからだ。
世界中には色々な種族が居るが、単体での戦闘力が最も高いのはフーレンだった。
虎を祖先に持った少数民族で、独特の文化と風習を守っている為に、辺境の蛮族扱いされる事もあったが、たいがいは、優れた戦闘集団として認識されていた。
子供は、野馳族だった。
世界中に沢山居る種族で、集団で狩りをする犬科の動物を祖先に持っている。
力や瞬発力は、フーレンに比べれば劣っているが、持久力は優れている。
おまけに、野馳族の大半は、回復魔法や補助魔法を使えるので、更に持久力のある、戦いにくい相手だった。
ただ、たいがいは、野馳族と言うのは、飛び道具の名手だ。
ずいぶん戦場には行ったが、野馳族の剣士なんか、一人しか見た事がない。
昔、一緒に旅をした男で、以来十数年の間、四、五回しか会っていないが、今でもクレイには大事な友達だった。
少年の太刀筋には、その男を想わせる様な所があった。
単に困っている子供を助けてやろうと思っただけだったが、加勢する理由が、他に出来てしまった。
「下がってろ、坊主」
クレイは、低い声で言った。
「お前の手に負える相手だが、わざわざ手を汚す事はない」
子供は、怪訝な顔でクレイを見上げた。
「俺はフーレンの族長、クレイだ。そうと知って、かかって来るか?」
フーレンのクレイの名前は、水戸黄門の印籠くらい効果があった。
盗賊達はざわめき、顔を見合わせ、それから退散して行った。
他の種族なら、こんな事を言って、たとえ本当でも、相手にされないだろう。
ただ、フーレンは人数が少なかった。
目の前の男が、本当にクレイかどうかはともかく、世間で知られているクレイの年格好とは一致した。
盗賊の考えとしては、ほぼクレイだが、たとえクレイでなくても、フーレンの戦闘力は侮れないので、退散するのが得策だった。
盗賊は逃げて行き、その場にはクレイと少年が残った。
「ありがとう、オジサン」
少年は、素直に言った。
こんな場所を、物騒な武器を背負って一人で旅をしている子供にしては、随分礼儀正しい態度だった。
「本当は斬りたくなかったんだ」
「いや…お前ならたいがいの相手は平気だろう。もっと強気で出ればいい」
少年は、盗賊に盗られそうになった荷物を拾い上げ、中身を確認して背中に背負った。
「一人旅か?」
「そうだよ」
少年は言った。
「目的地はあるのか」
「大体はね…」
少年は答えた。
「北方列島の戦場だ」
「偶然だな、俺もそうなんだ」
本当の事だった。
初めて戦場に出た一人息子から、連絡が絶えて二ヶ月過ぎていた。
家を出る時から、心配でたまらなくて、もう限界だった。
他の人をやる事も出来たのだが、どうしても自分で確かめたかったのだ。
「これも何かの縁だ。一緒に行くか?」
「オジサンは、本当にフーレンの族長なのかい」
少年はたずねた。
「うーむ」と、クレイは腕組みした。
「君はどう思うね?」
子供は、同じ様に腕組みした。
少し考えて、にっと笑って見せた。
「本物だな。だって、世間でウワサされてるクレイと、大体同じだもん」
自分が世間一般で、どうウワサされているのかは気になったが、それよりも子供の正体の方が気がかりだった。
「うん、それじゃあ俺は一応クレイとして…君は誰だい」
子供は、ちょっと黙った。
それから、身形を整えて、きちんと荷物と刀を固定し、しゃきっと背筋を伸ばした。
ただでさえ、子供にしては長身なので、そうすると一人前の大人の剣士の様に見えた。
「俺の名前は、キッド」
知らない名前だった。
少なくとも、クレイが考えていた友人の子供は、そんな名前ではなかった。
…というか、大体男の子じゃなかったし、年齢ももう少し幼かったはずだ。
まぁ、野馳族の剣士だって、広い世間には一人や二人以上居るのだろう。
「そうか…。じゃあ、キッド…よろしくな」
クレイが手を差し出すと、少年はその手を握って、うなずいた。
それより四ヶ月程前の話だ。
腕利きの傭兵ばかりを集めた、通称『ゴスペル隊』の元締め、ハイランダーのゴスペルは、東側にある総本部で、古い付き合いの男に会っていた。
「三人目の子供が出来たそうじゃないか。お祝いをあげよう…」
年老いた隻眼のハイランダーは、ポチ袋を差し出したが、背の高い野馳族の男は、一応受け取ったけれど、むっとした顔をした。
「そんな事の為に、呼んだのか」
明らかに、全身全霊で、迷惑だと言っていた。
「そんな事で呼び付けると思うか?」
思わないから、より迷惑なのだ。
とはいえ、十歳になる前から、傭兵として戦場で刀を振り回していた男にとって、ゴスペルは上司であると同時に、父親のような存在だった。
たいがいの頼み事は、断れない。
「なぁ、隠居する年じゃねぇだろ」
その通りだった。
普通に考えれば、四十代半ばを過ぎたばかりで、ご隠居という年ではない。
ただ、今の仕事は、もう潮時だと思っていた。
「俺も、もう、昔みたいな坊やじゃない。ぼちぼち落ち着いた生活がしたいんだけど…」
「分かってるよ」
分かってはいるけれど、そうも言っていられない事情があるから、東側の傭兵のくせに、敵国の西に住んでいて、気に入った仕事しか受けない様な我が儘な男を呼び付けたのだ。
「お前くらいしか、任せられる奴が居ないんだ」
嫌な予感がする。
「北方列島の紛争の事は、知ってるだろう」
うなずいた。
今のままで放っておくなら、大した問題はないが、東連合が介入するなら、負け戦だ。
このまま、規模が拡大しない様に、そっとしておくのが、得策だった。
「あそこにルディアが介入する。うちとしては、政治的な背景はどーでもいいんだが、要人の息子が一人、うちの部隊に入ってる」
「ガキのお守りか?」
「有り体に言えば、その通りだ」
野馳族の男は、ちょっと肩を落として、ため息をついた。
「子守りなら、自分家でやる。余所の子の面倒まで見る程、閑じゃない」
「ちぇ、つまらんぞ、そういうの。すっかり幸せなパパになっちゃって。
どうせ嫁さんとラブラブで弛んだ生活を送ってるんだろう。セリフは流暢だし、心なしか腹も出て来たし…。
不幸な野良犬だったお前が懐かしいよ」
「要らんお世話だ。勝手に人の不幸を望むな」
この十数年、けっこう幸せに暮らしていたが、非難されるのは心外だ。
「確かに気の進む仕事じゃないと思うが、フーレンの族長には、昔、世話になってな…。出来る限りは力になってやりたいんだ」
「え…?」
野馳族の男は、帰ろうとしていたが、止まった。
「そう云えば、お前はあいつの息子と友達だったな…。確か、クレイとか言ったか」
最初から知っていて呼んだに決まっている。この、骨董品のくそじじいが…。
「じゃあ、要人の息子って…」
「クレイの所の長男だ。俺にとっちゃ、孫みたいなもんだがな」
一面識もない子供を孫にしてしまう辺り、いいかげんな男である。
「どうせ負け戦だ。お前の経歴に傷を作る事になっちまって済まないんだが、行ってくれるか?サイアス」
男は、うなずいた。
「断れないと分かっているから、呼んだんだろう」
「その通りだ」
ゴスペルは断言した。
腹立つじじいだ…と、サイアスは思った。
それから、この際だから割り増し料金をふんだくってやろうと、懐からソロバンを取り出した。