僕とおじさん、北へ・2
峠をひとつ越えた所で、クレイと少年は、キャンプの用意を始めた。
宿のある街道までは、あと何日か歩かなければいけなかった。
先を急ぐ旅だったから、わざわざへんぴな近道を選んだのだ。
この少年も、急ぎの旅なのだろうか…。
「晩メシはあれでいいかい?オジサン」
少年に言われて、クレイはテントのロープを固定する手を止めて、顔を上げた。
キッドの目線の先には、山鳩が留まっていた。
距離はずいぶん離れているので、特に逃げもしないで、地味な色の羽根をくちばしで繕っている。
クレイが答える前に、パンパンと二発、乾いた火薬式銃の音が響いた。
仲間の鳥は一斉に飛び立って、鳩が一羽だけ、ぱさり…と、地面に落ちた。
少年は走り出し、鳩を拾って戻って来た。
「思ったより肉が付いてるよ」
嬉しそうに羽根をむしって、ナイフでさばき始めた。
「銃も使えるのかい、坊や」
「キッドでいいよ」
はらわたを出した鶏ガラを鍋に入れながら、少年は言った。
「野馳族は、普通銃だろ」
「そうだけど…」
刀も使うじゃないか…、と言いかけたが、骨と腸を抜いた鳩肉を渡されたので、黙った。
「焼いて」
何だか仕切られている。
そのまま焚き火にかざそうとしたら、怒られた。
「あっ、ダメ。塩とコショウして。俺、持ってるから」
懐から出した塩を、丁寧に捌いた鳩になすりつけて、それから小石でコショウをつぶして振りかけた。
「遠火で丁寧にね」
調理指導までされてしまった。
クレイが鳩を焼いている間に、ガラで取った出汁に、持ち歩いていたらしい干し米と、その辺の山菜を入れたおじやが出来上がっていた。
一度、ゆで汁を捨てるのがポイントだ…とか、豆知識まで伝授された。
「うん、確かにうまいな」
おじやに焼いた肉を乗せて、その辺にあったネギっぽい 野草(ノビルと言うのだと、以前聞いた事があった)を入れると、意外にうまい。
少なくとも、野外のキャンプで、その辺にある物で作る料理としては、破格の旨さだった。
「坊主は傭兵か?」
クレイは聞いてみた。
そんな風には見えなかったが、北方列島の戦場を目指している、剣術と射撃の腕の立つ少年に、他の目的は思い付かなかったのだ。
「違うよ」
少年は、首を横に振った。
「俺、学生だ」
「はぁあ?」
今までの三十数年の人生で、一番分からない答えだった。
「学生と云うと、あの、都会に住んでいて、毎日学校で学問を習うという…」
フーレンの里には、学校はない。
学問や生活に必要な知識は、村の年寄りが教えてくれる。
族長の息子という立場上、何年かウィンディアとルディアに留学した事はあった。
辺境の蛮族の次期族長という事で、差別されたり尊敬されたり珍しがられたり、色々だったが、おおむねいい体験だった。
しかし、ああいう学校に通っているのは、都会に住んでいる、そこそこ貧乏ではない家の子供か、余所から来たええとこのぼん(クレイ含む)か、貧乏だけれどすごく賢くて、奨学金を貰っている子供だった。
目の前の子供は、その内のどれにも見えない。
「その学生だよ」
少年は、鍋からお代わりを継ぎ足しながら、うなずいた。
「今、夏休みなんだ」
「夏休みの思い出として、北方列島の戦場に傭兵として志願するのは、ちょっと無謀じゃないか?」
クレイは、指摘した。
「大体、夏休み中に、戦争は終わらないだろう」
「だから俺、傭兵じゃないって」
子供は言った。
「行方不明の父さんを捜しに来たんだ」
クレイの目的と、それは親子の差はあるが、大体一緒だった。
「普通だったら、週に二回は手紙を寄越すのに、もう二ヶ月も連絡がないんだ」
「筆まめだな、お前の父ちゃん」
息子からは、月に二度くらい、手紙が来た。
それでもクレイとしては、ずいぶん気を使って連絡を取ってくれていると感じたものだ。
「うん…まぁ、うちの父さんと母さん、未だにラブラブだからな」
年頃の子供としては、ちょっと勘弁して欲しい…という風に、肩をすくめた。
「たぶん、何かあったんじゃないかと思うんだ」
クレイの心配事も、同じだった。
「実は…な」
こんな事は、他人にはあまり言いたくは無かったが、相手が子供なので、何となく気安く話す気になっていた。
「俺の息子も、お前の父ちゃんと同じ場所へ行って、二ヶ月以上連絡が取れないんだ」
「へぇ…」
少年は、しばらくぼんやりうなずいて、それからふと、変な顔をした。
「オジサンの息子、傭兵か?」
どんな風に答えていいのか、クレイは戸惑った。
フーレンの里に伝わる風習まで、全部話さなければ、状況が説明出来ない。
「いくらオジサンでも、現役の傭兵になる様な息子が居る年には、見えないだろう?」
「そうだね」
残った肉を、翌朝までその辺の獣に獲られない様に、一まとめに包んで、ヒモで高い所に下げてから、少年はクレイの向かいに腰掛けた。
「俺達は、成人するまでの間に、余所へ行って修行する習慣があるんだ」
「へぇ」
少年は、身を乗り出した。
「楽しそうだな」
「普通は、まぁ、坊主くらいの年になってから、するんだが…」
「俺くらいの年って?」
「十五、六になってからだ。大体十八位までには、済ませてしまうんだが」
「そうか」
少年は、聞き入った。
「族長の息子っていう気負いもあったんだろうな…。いや、他にも理由はあったんだが、あいつが戦場に行くって言い出した時、俺は止められなかったんだ。
まだ九歳になったばかりだったのに…な」
言い終わってから、クレイは肩を落とした。
「本当は、争い事が嫌いで、一人で本を読むのが好きな子なんだ」
「へぇ、それで、オジサンの子は、弱いの?」
少年は聞いた。
クレイは、首を横に振った。
「いや…、客観的に言って、その辺の大人の傭兵よりは強いよ。ただ、本人がその事を自覚してないから、危ない目に遭ってないか、心配なんだ」
「なんだ…」
少年は、焚き火の残りに砂をかぶせて、翌朝まで炎は出ないが種火は残る様に、調節した。
キャンプ慣れしている。
学校に通っている都会の子供とは思えない。
「それならきっと、大丈夫だよ。戦場で生き残るのは、強い奴と賢い奴と運のいい奴だって、父さん言ってたもの。オジサンの子は、強くて賢いんだろ」
クレイは、うつむいてため息をついた。
「もしかして、すごく運が悪いのか?」
「そんな事はないと思う。普通だ。単に心配なだけだ」
携帯用のランプに、焚き火の残り火で火を付けて、テントの支柱につり下げた。
「坊主だって父ちゃんの事が心配だろう」
「ちょびっとは…」
少年は、荷物をテントに投げ込んで、毛布にもコートにもなる、便利そうな上着を引っ張り出して被り、寝る体勢に入った。
「でも父さんは、普段はまぁ、間抜けなんだけど、剣を持ったら物凄く強いんだ。
だから、何かのトラブルに巻き込まれてるかも知れないけど、命が危険な事にはなってないと思う」
「そうか、頼りになる父ちゃんで良かったな。何があっても生きてりゃどうにかなるもんな」
「そういうもんか…」
子供は聞いた。
「おおむね、そうだろ」
クレイは答えた。
「そうか」
少年は、懐から紙と矢立を取り出して、びしびしっと書き付けた。
『生きてりゃOK!』
「今週の標語だ」
言ってから、横になって寝始めた。
なぜ、標語を作る…?
クレイの心は疑問で一杯だった。
大体、どう考えてもこいつ、あの昔からの知り合いの、剣術使いの傭兵と、物騒な暴走隊長の所の息子だろう。
ただ疑問なのは、年齢や性別が合致しない事だった。
名前くらいなら、どうにでも名乗れるが、あの家には、十一、二才の女の子と、八つになる男の子と、今年生まれた良く分からないちびっ子が居るだけだったはずだ。
孤児を二人引き取ったという話も聞いていたが、その子達なら、もう大人になっているはずだ。
とはいえ、子供を問いつめる気には、クレイはなれなかった。
子供にだって、色々事情はあるだろう。
単に、境遇のよく似た他人かも知れないし…。
寝る事にした。
それでも、元々責任感の強い男だったし、腕が立つとは云え、子供との野営なので、何かあった時、素早く対処出来る様に、テントを出て、焚き火の側で横になった。
それより三ヶ月半前…。
古い城塞を改造した砦には、ゴスペル隊の傭兵や、ルディア正規軍の兵士が駐屯していた。
二百年くらい前に、滅亡すると云うよりは、周囲のもっと大きな国に統合されて、何となく無くなってしまった領主の城で、盗賊や周囲の住民に、根こそぎ価値のある物は持って行かれた古城だったが、回廊にはまだ、値打ちはない古い物が残っていた。
めずらしい石像、歴史の教科書にしか載っていない、先史時代の文字が刻まれた壁。
フーレンの少年は、わくわくしながら、城塞の中を、あちこち歩き回った。
崩れかけた地下道や、隠し部屋の様な物まで、見て回っていたので、屋上へ上がった時には、もう日が暮れていた。
そこへ行けと言われていたからだった。
言われてなかったら、珍しい物を探して、もっと奥へ降りていただろう。
石造りの頑丈な城塞の屋上は、むさ苦しい傭兵達が、百人近くたむろしていた。
何カ所かで火が炊かれて、何人かの女達が、食事の用意をしている。
妙に色っぽいお姉さん達が、傭兵なのか、その世話係なのか、傭兵初心者で子供の少年には、理解出来なかった。
ここで待てと言われたから、来ただけだ。
どうしていいのか、全然判らなかったし、自分と同年代の子供は、まぁ覚悟はしていたが、見つからなかった。
一番年齢の近そうな、まだ十代だと思われる傭兵を見つけたので、話しかけようとしたが、ものすごく怖い目つきで睨まれて「来んじゃねぇ、ガキ」とか、言われてしまった。
「自分だって子供のくせに」
ぶつぶつ文句を言って、誰も居ない隅っこの方に、居場所を見つけて座り込んだ。
お腹が空いた。喉も乾いた。
家を出る時に、母さんとお祖母ちゃんが非常食を持たせてくれたが、あれは非常時に必要だから非常食なのだ。今は非常時とは思えない。
周囲の怖そうなオジサン達は、色々飲み食いしているが、この辺のお作法が今ひとつ判らない子供は、躊躇した。
皆適当な食器に飲み物や食事をもらってるけど、自分はお椀を持ってない。
どうやって、シチューとかご飯とかお茶をもらって来ればいいんだろう。
故郷を出て、一族の習慣としては、かなり早く戦場に出て、ここへ来るまでは、族長の息子として丁重に扱われていた。
いきなり、ご飯を貰うにも難儀するとは、思わなかった。
ちょっと泣きそうだった。
「ダメだ。こんなじゃ父さんも失望するよ」
いつも隅っこで小さくなっている自分が嫌で、ここへ来たのだ。
びしっと立ち上がって、おいしそうな煮物を配っている列に加わった。
すぐに順番が来た。
「坊や、お茶碗持ってるの…ていうか、あんた傭兵なの?」
少し緊張したが、迷わないで答えた。
「若輩者ですが、傭兵です。お茶碗は持っていません。余っているのがあったら、貸していただけますか?」
女は、母親と大して変わらない年に見えた。
背中をかがめて、ちょっと笑ったが、少し縁の欠けた茶碗を取り出して、シチューを盛りつけて、その上にパンを一枚乗せてくれた。
「いっぱい食べなよ。どうせお代わりしても無料なんだから」
「はい、ありがとうございます。じゃあもう一枚パンをください」
女は、パンの間に焼いた肉を一枚はさんでくれた。
「育ち盛りなんだから、いっぱい食べな」
「ありがとう、おばちゃん」
「おばちゃんって年でもないんだけど…」
「すみません、お姉さん。母に似ていたもので」
「面白い子だねぇ、あんた」
女は、周囲を見回して、言った。
「傭兵隊には、悪い奴も居るから、気をつけなよ。知り合いが居ないなら、荷物を置きっぱなしでうろうろしない方がいいよ」
「はい、ありがとうございます。でも、非常食と腹痛の薬くらいしか、貴重品は持ってないです」
「ふうん、苦労してるんだ。がんばりな」
頭をなでてもらった。
「はい、苦労は今後する予定です。がんばります」
飯炊きのお姉さんは、変な子…と言って、首をかしげた。
シチューを入れてもらった器を、良く洗わないでもらったお茶は、すごく変な味だったが、常日頃からお茶は大人の飲むものだと言われて、あまり飲ませてもらえなかったので、これが大人の味なんだな…と、子供は変な納得をした。
大人達は、どこから連れて来たのか、最初からは居なかったお姉さん達と、話し込んでいたが、子供はもう、眠かった。
持ってきたランプで、少しの間は本を読んでいたが、それにも飽きてしまった。
何十回も読んだ本だったし。
荷物を枕に横になった時、何だか妙に大きい人影が、こちらへ向かって来た。
傭兵隊には悪い奴も居るから…という言葉を思い出して、子供は少しこわばった。
人影が立ち上がるまで、それはあんまり大きい人には見えなかった。
自分と同じで、隅っこの方に座って、何だかちびちび酒を飲んでいる様に見えた。
何を思ったのか、急に立ち上がって、こちらへ歩いて来る。
フーレンは、体格的には割合大きい種族だった。
子供も今は小さいが、いずれ父さんか、少なくとも母さん以上には大きな大人になるだろう。
だから、大きい大人は見慣れていたはずなのに、少しびっくりした。
野馳族で、こんな大きい人を見たのは初めてだったからだ。
「タクト…?」
「え?」
意外な事に、名前を呼ばれた。
「サイアス」
自分を指さして、おっきい傭兵は言った。
「相方」
握手された。
すごくでっかい手だ。すぼっと自分の手が隠れてしまう。
父ちゃんよりおっきい手だ。
何だか、遠近感が狂うくらい、全体的に細長くて大きい男だった。
「ええ?」
「よろしく」
訳の分からない自己紹介だけして、自分の隣りに当然の様な顔で座り込み、一人酒盛りの続きを始めてしまった。
悪い人には見えなかったが、困った人に思われた。
「あの…」
おずおずと聞いた。
「おじさん、誰ですか?」
男は、犬っぽい鼻面に、ちょっとしわを寄せて、不機嫌な顔をした。
「相方だ」
ぼそぼそ言った。
「同じ事は、二度言わない。一回で憶えろ。命に関わる事もある」
「分かりました。相方って何ですか」
「それは…」
男は、頭を掻いて、ふいに横になって寝始めた。
あっ、めんどくさい事を聞かれたから、寝てしまうつもりだ。
子供は一瞬で相方の本質を見抜いたが、大人にツッコミを入れても、怒られるだけなので、黙って本の続きを読み始めた。
しばらく本を読んでいたら、ふいに相方のおじさんが寝返りを打ってこっちを向いた。
手を伸ばして、ランプの火をぐりっと消した。
「子供は、早く、寝る」
言い終わって、また、向こうを向いてしまった。
正論を言っている大人に反抗する様な躾はされていなかったので、子供はふくれっ面で本を枕代わりに頭に敷いた。
ちぇ、傭兵隊に来たら、大人も子供も、同じ様に扱われると思ってたのに。
相方の第一印象は、胡散臭くて説教臭い、変なおじさんだった。