僕とおじさん

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  僕とおじさん、北へ・3

  クレイとキッドは、二日かけて山を下り、街道沿いの宿場町まで来ていた。
 実際には、女子供の足なら、もっと日数のかかる旅だった。
 連絡の取れない一人息子の事を考えると、ついつい早足になってしまったが、キッドは別段辛そうな顔もせず、それどころか呼吸ひとつ乱さないで、難なく後を付いて来た。
 最初は、新しい旅の仲間を気遣って、時々歩く速さを調節したり、休憩を取ったりしていたクレイだったが、少年が平気な様子なので、ペースを上げた。
 クレイが休憩しようと言う度に、何だか不満そうにしていた少年は、速いペースの移動に、やせ我慢どころか疲れた様子もほとんど見せずに、一度野営しただけで山を下ってしまった。
 よく考えれば、この子は野馳族だった。
 フーレンよりも力は弱いが、持久力はずっとあるし、体力のある大人なら、一日中走り続ける事だって出来るのだ。
 宿場町に着いたのは夕方だった。
 もう少し無理をして、日が暮れるまでに先へ進む事も出来たが、今日はここに泊まる事に決めた。
 
 どこにでもある様な感じの、安っぽい宿屋だった。
「おれ、こんな風な宿屋に泊まるの、初めて」
 部屋中を珍しそうに見回して、キッドは言った。
「けっこう旅慣れてると思ったが」
 風呂に入るついでに、汚れた下着とか手ぬぐいを洗ってしまおうと思って、クレイは手早く服を脱いだ。
 この辺りは、砂漠に近くて空気が乾燥しているから、上着やズボンも洗ってしまって大丈夫だろう。
「キャンプとか、田舎のじいちゃん家に泊まったりとかはしたけど、こういう宿屋に泊まった事なかったもん」
「へぇ…」
 裸に近い格好になってしまったクレイを、ちょっと困った顔で見て、横を向いてしまった。
 何となく、育ちの良い都会っ子らしい反応を初めて見せたので、クレイは少し安心した。
「風呂に入るけど、一緒に行くか?」
「ううん」
 少年は、首を横に振った。
「この宿屋、鍵が無いから、交代で行った方がいいでしょ。母さんに手紙も書いておきたいし」
「そうか、じゃあ先に風呂行くぞ」
 部屋を出かけて、ふと、聞いた。
「お前の母ちゃん、軍人か?」
 子供は首を横に振った。
「ううん、母さん警官だ」
「そうか」
 予想していた答えと、違っていた。
「母ちゃんが、父ちゃんを捜しに行く訳には、いかなかったのかい?」
「母さんはそうしたがってたけど、弟がまだちっちゃいし…」
 ふいに、キッドは聞いた。
「オジサンは本当にクレイなの?」
 クレイは、どきっとした。
 真剣な表情で聞かれたからだ。
 本当だと言うのは簡単だった。事実だからだ。
 でも、何だかはっきり口に出して、言えなかった。
 一国の族長が、自分の率いている一族を放り出して、純粋に私情で動いているのが、後ろめたかった。
 それに、昔、同じ様に自分の感情だけで動いて、大事な人を救えなかった。
 後悔はしていないが、また、あの時みたいになるのが、恐ろしかった。
「ごめん、俺、ニセモノだ」
 振り返って、自分的には思い切り剽軽な感じで笑って見せた。
「族長だって言えば、簡単にあの盗賊を追い払えたからなぁ。でも、大嘘かましたら、何か言い出しにくくて」
「何だ、そうなのか」
 キッドは、少し安心した顔をした。
 自分がニセモノでも本物でも、大して状況に変わりはないだろうに、どうしてそんな、ほっとした顔をするのか、新しい気がかりが出来てしまった。
「じゃあ、本当はオジサン誰なの」 
 当然の事を聞かれたが、何も考えていなかったクレイは、一瞬答えに詰まった。
「クライブ」
 適当な名前を言った。
「ふうん、割とかっこいい名前だね」
 それ以上追求されなかった。
 族長の幼なじみだとか、近所の知り合いだとか、言い訳を用意していたクレイは、拍子抜けした。
「じゃあ、俺、風呂行って来るから」
「うん、行ってらっしゃい」
 荷物から、便箋を取り出して、キッドは言った。
 親子揃って筆まめな様子だった。
 浴室は共同で、やっぱり鍵も無かったが、湯船は割と広くて快適だった。
 隣接してランドリー用の洗い場もあったので、素早く洗濯を済ませて、クレイは部屋に戻った。
 元気いっぱいで旅をしていた様でも、やはりそれなりに疲れていたのか、少年は書きかけの手紙につっぷして、寝てしまっていた。
「おおい、寝るなら布団で寝ろ。せっかく宿屋に泊まったんだぞ」
 肩を揺すると、キッドはぼんやり顔を上げた。墨だらけだった。
「お前、風呂に入って顔洗った方がいいぞぉ」
 クレイはぼやいた。

 城塞の屋上で夜明かししたタクトは、明け方に目覚めた。
 辺りには、薄いもやがかかっている。
 明け方の冷たい空気のせいか、喉が少しいがらっぽかった。
 その割りに、体はぬくぬくとしていて、家の中で布団で寝ている様な感じだった。
 ふと横を見ると、変なオジサンの長い鼻面があった。まだ、眠っている。
 頬に、ふかふかの毛皮の感触があった。
 いつの間にか、オジサンの毛深い懐に入り込んで寝ていたらしい。
「うー、いつの間に…」
 ごそごそと懐から這い出ると、オジサンは眠そうに目を開けた。
「どこ…行く?」
「あの…オシッコ」
「俺も、行く」
 あくびをしてから、刀だけ持って起き上がった。
「あのー、荷物は?」
 子供は聞いた。
 置きっぱなしだ。悪い奴も居ると聞いていたのに。
「俺の荷物を、盗るバカは、居ない」
 首筋をぽりぽり掻いて、伸びをした。
 それからすたすた歩き出した。
「あのっ」
「何」
「勝手に枕にしちゃって、すみませんでした」
 後を追いかけながら、言った。
 オジサンは、ふいに歯を見せてにっと笑った。インパクトのある笑顔だ。
「腹を出して寝ていたから、入れた」
 自分で寝ぼけて入ったのではなく、引きずり込まれた様だった。
「そ…それは、どうもありがとうございました」
 へそ出し服は、フーレンの民族衣装だし、別段平気なのだが、寝る時はちゃんとお腹に布を掛ける様に、母親に口うるさく言われていたのを思い出した。
 家を離れてしばらく経つので、言いつけを守るのを忘れていた。
 このオジサンは、つまり、僕の保護者なんだな…。
 頭のいい子供だったので、すぐに気が付いてしまった。
 戦場に来たら、特別扱いはしないと言われていたのに、やっぱりこんな風になってしまうんだ。
 子供は、ちょっとうなだれて、オジサンの後を付いて行った。

 連れションをして戻ると、招集がかかっていた。
 昔は城の大広間(小さい城なので、大した大広間ではない)だった場所に集められ、この部隊全体の指揮を取っている正規軍の将校の話を聞いてから、幾つかのグループに分かれて別の部屋に呼ばれた。
 将校の話は、何だか漠然としていて、子供には分かりにくかったが、傭兵ばかりが集められたその部屋では、政情や周囲の国の動きにはほとんど触れないで、具体的な話が始まった。
「我々の仕事は、この城塞を盾にした囮だ」
 傭兵隊の、この地での指揮官らしい男は、壁に貼られた地図を指した。
「敵の兵力は、おおよそ五千。山を越えた平野に駐屯している。
 敵の斥候隊を引きつけ、この砦まで本隊を誘導する。
 その間、正規軍は二手に分かれて山脈を回り込み、敵を囲い込む」
 こちらに何人居るのか、子供には見当は付かなかった。
 正規軍を入れても、千人に満たないのは確かだ。
 それとも、他の場所にも味方が居るのだろうか。
 部隊分けが始まって、子供はやっと、相方という意味が分かった。
 傭兵とは云え、一人で戦っている者は希で、ほとんどは長年行動を共にしている仲間が居た。
 二、三人から、多くて六人くらいの、部隊の最小単位のチームだ。
 魔法や、持ち技の相性は、実戦では友情や仲間意識より、大切だった。
 たいがい、攻撃魔法や技の相性がいい何人かと、回復系の使い手一人が、定番だ。
 一人で来た自分は、当然フリーの誰かと組まされる。
 自分は、攻撃力と素早さの高い、速攻型の戦士だ。魔法は、回復や補助系よりは、攻撃魔法が得意だった。当然、このオジサンは、一般論で云えば、回復系と補助魔法の得意な、守備型の戦士という事になるが…。
 何か、単なるぼーっとしたおっさんにしか見えない。
 石の床に体育座りして、壁に貼り出された地図を背に、てきぱきと作戦を伝える指揮官の言葉を聞きながら、隣のオジサンを見た。
 後ろの小柄な土喰い族が、見えないと文句を言ったので、てれっとしたポーズで、背中を丸めて前方を見ている。
 何だかすごく、楽しそうだ。
 分からない…この人。
 にこにこして前を見ているオジサンと、指揮官の目が合った。
 指揮官は、子供から見ればやっぱりオジサンだが、隣のオジサンよりは幾分若い男で、目が合った瞬間、何だかすごく困った様な表情でうつむいた。
 相方のオジサンは、何となくしまった…という顔をしたが、基本的にはやっぱり楽しそうに、指揮官の話に聞き入っていた。

 ずっと城塞の屋上で寝泊まりするのかと思っていたら、部屋を割り当てられた。
 色々な事が慌ただしく進んでいて、傭兵や、後から来た正規軍の兵士が寝起きする場所が、きちんと確保されていなかったらしい。
 屋根のある場所で寝られると分かって、子供はほっとした。
 オジサンに、自分の荷物も運んでおく様に言われたが、安心感の余り、使いっぱにされても、特に何も思わなかった。
 オジサンの荷物も、自分の荷物も、すごく少なかったので、両手に下げて、螺旋階段を下りていたら、少し先から話し声が聞こえた。
 オジサンと指揮官だった。
「変だと思ったんですよ」
 指揮官の声だった。敬語を使っている。ちょっと不思議だった。
「貴方の名前が名簿にあるのに、私が指揮官だと言われたから、何か事情はあると思ってました」
「ゴスペルから、直に来た仕事なんで…」
 オジサンの声がした。
「お前より心持ち割り増しの契約金もらってるんで、安心して何でも命令してくれ」
「大変ですね」
 何だかオジサンは、本来なら傭兵隊の指揮官クラスの人らしい。とてもそうは見えないが…。
 きっと、族長の息子だから、何かあったらいけないと思って、性格や言動はともかく、すごい腕利きのベテランの人と組ませてくれたに違いない。
 一生懸命がんばろうと思っているのに、何か新しい事をする度に、結局色々な人に迷惑をかけてしまうんだな…。
 悲しくなって、子供はうなだれたまま、話し込んでいる大人二人をやり過ごす為に立ち止まった。
「でも、良かったです。楽しそうで」
 指揮官が言った。
「楽し、そう…?」
 オジサンは、聞き返した。
 子供が見ても楽しそうだったが、オジサンの口調は、夢にも思っていない事を告げられた感じだった。
「楽しそう…だった?」
 しばらくしてから、螺旋階段を下った。
 指揮官の人は、もう居なかった。
 オジサンは、肩を落として、壁に向かって一人で立っていた。
 体が細長くて、元々なで肩なので、余計にがっくりして見える。
 理由は分からないが、落ち込んでいる様子なので、無言で通り抜けようとしたが、頭上から荷物を取られた。
「ありがとう」
 父ちゃんより年上の人に、使い走りをしたくらいで礼を言われるとは思わなかったので、子供は固まった。
 オジサンは、荷物を持って、落ち込んでいた割りには素早く、割り当てられた部屋に向かった。

 部屋の中には、先客が二組居て、こちらをじろりと見た。
 六人組と、四人パーティーの二つのグループで、割合広いはずの部屋も、手狭に感じられた。
 どちらかというと、柄の悪い男達の集団で、入って来た場違いな子供を、皆が一斉に値踏みした。
 子供は、怖くなって少しの間立ちすくんだ。
「タッちゃん、こっち…」
 既に、窓際のいい場所に陣取ってくつろいでいるオジサンが、手招きした。勝手な呼び名まで作っている。
「あの…、よろしくお願いします」
 入り口で挨拶したら、何人かはけっこう人の良さそうな顔で笑った。
 部屋の中央に置いてあるテーブルを迂回して、オジサンの所まで早足で歩いていたら、いきなり足元をひっかけられた。
 それくらいで転ぶ程、間抜けな育て方はされていなかったので、ひょいと着地した。
 まだ年若い、鼻面に刀傷のある傭兵が、テーブル席の端で、足を組み直した。
 ちょびっと見覚えがある。
 昨夜、比較的年齢が近いと思って話しかけたら、「来んじゃねぇ、ガキ」とか言ってた男だ。
「ちぇ、つまんねぇ…」と、テーブルの端に座った傭兵はつぶやいた。
「ルディアの狂犬とか、死に神とか言われてた奴が、ガキのお守りかよ。ああ、やだ。年は取りたくないもんだね」
 周囲が明らかに少し、ざわついた。
 失礼な事を言っている少年に、同意している訳でもなければ、反感を持っている訳でもない。
 全員、怖がっていた。
 この、ぼーっとしたオジサンを。
 もっと小さい頃から、母親に「お前はカンのいい子だね」と、言われていたので、この手の自分の判断には、少し自信があった。
 オジサンは、暴言を吐いた少年を、じっと見た。
 別に、怒っている様にも、気を悪くした様にも見えない。
 しばらく、じっと見て、それからふいに、にこーっと、歯ぐきまで見えるくらい、笑った。
 ちょいちょいと、手招きして、暴言を吐いた少年を呼び寄せた。
「坊や、名前は?」
「坊やじゃねぇ」
「かっこいいお兄さん、名前…」
「バッチ」
 オジサンは、うなずいた。
「バッチ。お話しがあるので、後で裏口の便所の横まで、いらっしゃい」
 だめだ…このオジサン、何か変な事考えてる。
 タクトは思ったが、かっこいいお兄さんは止めても行くだろうと思った。
「ちっ、めんどくせぇの…。ここで話せないのかよ」
 バッチは文句を言った。

 便所の横に呼び出されて、ぼこぼこにされたかっこいいお兄さんは、小一時間で部屋に戻って来た。
 周囲の反応は、おおむね「バカだなぁ、あんな、人外の魔物に手を出して…」だった。
 オジサンは、何事も無かったかの様に、ボコられたバッチを引きずって、戻って来た。
 同じチームだった人達は、見なかった事にするつもりらしく、顔を背けた。
「これ…」
 オジサンは、よれよれでなすがままのバッチを、ひょいと片手で吊して、言った。
「もらって…いい?」
「ど…どうぞ。もらってやってください」
 元、チームメイトは、自分の命が大事なので、薄情だった。
 いくら、普段は指揮官クラスの人でも、一応さっきのオジサンが上司なのに、勝手にチーム編成を変えちゃっていいものなんだろうか…。
 ぼんやり考えていたタクトの横に、ボコられたバッチが、無造作に放り出された。
「そんな訳で…」
 オジサンは言った。
 どんな訳だか、さっぱり分からない。
「今日から、それ、お前の手下だ」
「えぇぇぇぇっ?!」
 タクトは、叫んだ。
「待てぇ!」
 半死にのバッチは、うなった。
「てめぇに、不覚にも油断して負けたのはともかく、なんで俺がこいつの手下だぁ」
「お兄ちゃん、僕が手下でもいいよ。どうせオジサンは、パシリは二人居た方が楽だと思ってるだけだ…たぶん」
「なんだとぉ、そんな理由で…ていうか、いい年したオッサンが、人を便所の裏に呼びだしてボコるな!昔のやんきぃか、てめーは」
 オジサンは、聞こえないふりをして、窓の外をぼんやり眺めていた。
 ふいに、何か変な物に気が付いた様子で、顔を上げた。
 刀を片手で掴み、窓の外へ身を乗り出して、空気の匂いを嗅いだ。
 部屋の中でも、オジサンと同じ、野馳族でも先祖返りに近いタイプの人達が、不審げにざわめき始めた。
 少し遅れて、窓の外を見た飛翼族の様な遠目の利く連中が騒ぎ始めた。
「山の向こうに火の手が上がってるぞ。西と北西…」
「友軍の居る場所じゃねぇのか?」
 床に倒れたまま、バッチはたずねた。
 オジサンは、急いでバッチの所へ戻って、首根っこを掴んで吊し上げた。
「アプリフ」
 普通、高位の魔法使いがやる様な韻は全然踏まないで、投げ付ける様に回復魔法をかけて、床に放り出した。
 バッチは、文句も礼も言わなかった。
 自分が元居たパーティーの所へ駆け戻り、装備一式を解体して身に付け始めた。
「短い付き合いだったな。俺、あのオッサンと組む事になったから」
「別に前衛は足りてるから、いいけどよ…」
 バッチが元居たパーティーのリーダーらしい男は、言った。
「何んであれ、一般の兵士に混ざって、ここに居る訳?」
「知るかよ。てめーで聞け」
 言い合いながらも、素早く装備を固めて行く二人を、タクトはぼんやりながめた。
 周囲の皆も、慌ただしく装備を調え始めた。
「何ぼさっとしてんだ、しばくぞガキ」
 自分の装備を終えたバッチは、戻って来てタクトの頭をびしっとはたいた。
「叩いてから言われても…」
 タクトはぶつぶつ文句を言った。
「僕なら、わざわざ準備しなくても、いつでも行けるよ」
「へぇ、フーレンて、ガキでもやっぱりそうなんだ」
 何か、自分なりの変なフーレン観があるらしいバッチが、うなずいた所で、上からの伝令が駆け込んで来た。
 ほとんどの者は、身支度を終えていた。

つづく≫