序章
砦から火の手が上がっていた。
男は立ち上がり、空気の匂いを嗅いだ。
背の高い、四十半ばを過ぎた年輩の傭兵だった。
おそらく、西と東が戦争をしていた頃からずっと傭兵だったに違いない。
そういう男は(女も)けっこう居る。
戦争しか能が無くて、こんな場末の紛争にまで関わって、未だに戦場をうろうろしている輩だ。
ただ、ちょっと、今回は様子が違った。
北方列島からの侵攻は、戦争慣れしているとはいえ、二つに分裂している東連合にとって、場末の紛争と云うには、少々荷が勝ち過ぎていた。
しかし、それ以上に違うのは、燃え上がる砦を眺める、傭兵だった。
剣豪である。
平穏な世でも、剣の腕ひとつで食って行ける程の使い手だったが、大した野心もなく、飄々として生きて来た。
都に残して来た子供らが成人するまでの、当面の生活費が稼げれば、さっさと引退するつもりだった。
今、こんな所に居るのは、昔の義理だ。
男の側で、うずくまっていた子供が立ち上がった。
背伸びをして、炎上する砦を見た。
黄色と黒の、綺麗な縞模様の長いしっぽが、ふわりと左右に揺れた。
「どうする?」
男は、聞いた。
子供は腕組みし、目を伏せてしばし、じっと考えた。
「行こう、おじさん」
「危険だ」
男は言ったが、止めているのか、単に事実を言っているのかは、分からなかった。
「怖いの?」
子供は聞いた。男は、うなずいた。
「昔、女房と約束した」
「うん、絶対生きて帰るってね」
子供は、笑って言った。
男は、何んで知ってる…という顔をした。
「父さんも同じ事を言ってたからさ。でも、仲間を見捨てる様な男は、フーレンの誇りにかけて…最低だ。行こう」
男は、犬っぽい鼻面にしわを寄せて、ふん…と、うなった。
「誇りや名誉なんか、くそ食らえだ。でも、仲間は大事だ。行こう」
まだ、ほんの十歳くらいの少年と、四十代半ばの中年男の変な組み合わせの兵士二人は、うなずき合って、炎上する砦を目指した。