第八章 山の生活-5-
聖闘士だって人間なので、空は飛べないが、百メートルくらいの高さから落ちても、普通怪我などしないものだ。
アレクもすぐに、飛び落ちる状態から、飛び降りる程度まで、空中で体勢を立て直せる様になったので、落ちている状態から追い打ちをかけて、攻撃を仕掛ける様にした。
落ちているわずかな時間に、攻撃を見切り、避ける為の判断力を付けさせようとしたのだが、彼は、全然違う方向へ、自分から進んで行ってしまった。
追い打ちをかける、私の背後に、突然彼は、出現した。
間髪入れず、蹴りが襲い、避ける為には、手加減なしの反撃に出るしかなかった。
「うわ…しまった。殺してはないと思うが」
周囲の気配を探っている時、ふいに頭の中に、大怪我をして木の上にひっかかっているアレクの映像が浮かんだ。
一瞬でも、助けようとして、注意をそっちに向けた私は、大間抜けだった。
本物のアレクは、ぴんぴんしていて、後ろから襲いかかって来たのだ。
「待て!お前今、何をした」
思わず、後ろ回し蹴りをかましてしまってから、私は怒鳴った。
アレクは、一応受け身を取ったが、少しかすったらしくて、袖口で鼻血をふいてから、顔をしかめた。
「…え、こういうのは、ナシ?」
「ナシじゃないけどな…、お前」
自分が、何をしでかしたのか、全然分かっていないガキの顔を見ていると、何んだか拍子抜けしてしまった。
普通、テレポートなんて大技は、聖闘士の中でも、黄金クラスの人間しか、使えないはずだ。
聖闘士の最低条件である、音速の拳も身に付けていない白銀候補の少年が、いくら追いつめられても、使える技ではないのだ。
更には、テレポートの大技をかました後に、幻朧拳で、幻覚を送り込み、撹乱させるなど、素人の戦い方ではない。
「どこでそんな真似、憶えた」
「サガが教えたに、決まってるじゃない」
教えた覚えなんか、全然ない。
テレポートも、幻朧拳も、使って見せた事はあっても、教えた事は、一度もなかった。
「大体、音速の拳も使えないのに、どうしていきなり、テレポートなんかしちまうんだよ、お前は」
「そんなの、わかんない。なんか、速く避けようと思っただけ」
「別にいいけどな。その後、幻朧拳でフェイントかますなんて、ガキのやり口じゃないぜ」
「幻朧拳って何?」
「今、お前が使ったやつだ」
「ふうん」
鼻血が中々止まらないらしくて、アレクは、不愉快そうな表情をして、シャツの裾で顔を押さえた。
「幻朧拳て云うんだ、これ」
「ああ、名前までは、教えてなかったな」
「あんまり愉快な技じゃないね。使っても、使われても」
幻朧拳で、任意の幻覚を、相手に与える事は可能だが、相手が見ている幻覚を、こちらがそっくり同じ状態で、認識出来る訳ではない。
たぶん、それが可能なのは、一輝の使う、幻魔拳だろう。
幻魔拳と違って、技をかけた後も、長期間、相手に幻覚を見せ続ける事は可能だが、相手がどんな幻覚を見ているのか、正確には把握できない欠点がある。
分かるのは、相手が感じている、不愉快で不安な、感情だけだ。
「確かにそうだが、お前は、ためらわずに幻朧拳を使って、その後の反撃にも対応した。お前の戦闘力は、ほめられた物じゃないが、あれだけの事を、冷静にやってのけるのは、はっきり言って、大したもんだと思うよ」
「そう…」
ほめたつもりだが、うれしそうじゃない。
幻朧拳を使った時、相手の感情に巻き込まれると、修行を積んだ聖闘士でも、けっこう辛い。
こんな修行中の子供が、冷静な顔をしている事の方が、不思議なのだ。
「何んだ、黙り込んで。骨にヒビでも入ってるのか」
「いえ…別に鼻血以外は」
「そうか。折角幻朧拳使えたんだから、昼飯食ったら、少し、幻朧拳以外の技を教えてやろう」
アレクは、増々黙ってしまった。
感情を表に出さないだけで、けっこう起伏は激しい性格なのは、この数年で分かっていた。
「確かに、あれを使うと、いい気分じゃない。わしが最初に幻朧拳を使った時は、便所で吐いて、そのまま二時間くらい泣いてたよ」
アレクは、うつむいていた顔を、少し上げた。
「安心しろ。他の技は、ぶっ壊したり、次元に穴開けたりするだけで、技をかける相手と、精神的に同調する必要はない」
アレクは、昼飯を食いに、家へ戻る間、ずっと黙っていたが、鍋を火にかけている時に、ふいに話した。
「サガは、どんな幻覚を見たの」
「お前、そんな事を、ずっと気にしていたのか」
「うん」
慣れれば、ある程度限定したイメージを見せられるが、初心者には、相手が何を見ているのか、想像出来ない場合が多い。
分かるのは、相手の感情と精神の断片だけだ。
「気にしなくていい。わしの不愉快な感情が伝わったなら、技が正確に決まっている証拠だ。これから先も、容赦なく使え。お前は、相手に手加減する程、強くはない」
「はい」
残り物で作った、具が多くて卵が少ない(ニワトリが怠け者なのだ)オムレツをおかずに、朝炊いた、冷いごはんを、二人で黙って食った。
食事中に、楽しくおしゃべりしたり、だらだら長い時間かけて、飯を食うのは、この国では行儀が悪いのだそうだが、一言もしゃべらないで、黙々とメシを食っているのも、妙に気まずい。
「ああ、茶っ葉も食っとけ。それ、栄養あるから」
バター茶の底に溜まった葉を、嫌そうに少しだけ吸い込んでから、アレクは言った。
「サガが、あんなにショックを受けるなんて、余程、ひどい物を、見せたんだね、僕は」
「そうか?」
「うん」
アレクが大怪我した幻覚を見たくらいで、そんなに取り乱していたのは、自分でも意外だった。
「うーむ。なんて弟子思いの、すばらしい師匠なんだ、わしって…」
「何のうわごとです」
「だが、いちいち気にしてちゃいかん。お前は大体、根が暗すぎる。暗い子供は、かわいくないぞ」
「別に、かわいくなくても、いいです」
アレクは、また、黙り込んでメシを食い始めた。
「ちょっとやり過ぎでないのか、先生」
例の小娘は、また、残ったおかずを、持って来てくれたが、文句を言った。
「おお、芋の炊いたやつか。これ、好きなんだ」
「先生の好みなんか、どうでもええんだけどね。あの子に食べさすんで、持って来たんだから」
アレクは、さっさと煮物の入っていた器を洗って、中に米粒を少し入れて、小娘に差し出した。
「どうも、ありがとうございました」
「礼儀正しい、ええ子だね。先生とは大違いだ。かわいそうに、鬼の様な先生に、こんなにされて…」
確かに、最近のアレクは、技をかけるのに失敗したり、自分が身に付けた速度に、まだ判断力がついて行かなくて、ぼこぼこの顔をしている。
しかし、聖闘士の修行としては、やわにやっているつもりだ。
大怪我をしたら、ちゃんとした医者に見せられる身の上なら、もっと激しい訓練も出来るのだが…。
「お前、今日はナリトさん所の奥さんが寝込んでるから、水汲み手伝った後、皆で薪拾いに行くんだろ。ついでにパクチィん家に、そのお椀も返して来いよ」
「そうします」
アレクは、出て行った。
小娘も一緒に帰るかと思ったら、部屋の真ん中に座り込んで、囲炉裏の灰なんか、かき回している。
「家に戻らんのか?小言だったら、もう聞かんぞ」
「実は、家出して来たんだわ、私」
おさげにした髪をいじくりながら、おそろしい事を言い始めた。
「山賊になるのか?」
一応、聞いてみた。
「女が山賊やるはずが、ないがね」
「だったら、何んでここへ来た」
「先生にかくまってもらおうと思って」
飲みかけの茶を、吹いてしまった。
「アレクがお椀を返しに行ったんだぞ。ここに居るのが、すぐバレると思わんのか」
「うかつだったね」
小娘は、考え込んだ。
「大体、そんな軽装で、現金も食料も持たず家出とは。地元のくせに、山をナメとるのか」
「よく、そう次々と説教が出来るね。こういう物は、イキオイだろ」
部屋の中は、昼間でも少し薄暗いが、頬に平手でなぐられた跡がある。
大した痣ではない。叱る為に叩いた程度だ。
「かくまってはやらんが、話しくらいは聞くぞ」
「別に、話しなんか、聞いて欲しくないよ。かくまってくれないなら、出て行く」
「そうか。暗くなる前に家に帰れよ」
「家出したと言ってるだろうに」
小娘は、憤慨した。
「ええんだよ。薄情な先生にも追い出されて、豹に襲われて、お骨になるまで、ハゲ鷲につつかれるんだ」
泣き真似まで始めた
もう、放っておこうと思って、晩飯の仕込みをしてから、頼まれた鍋の底の修繕をしていたら、小娘は側へ寄って来た。
「鋳掛けの道具もないのに、どうやって直してるだね」
「危ないから、終わるまで寄るな。説明しても分からんだろうが、鍋底の分子を加速して、穴の開いた場所へ寄せてる。けっこう発熱しているぞ」
「分からないよ。女は、学問なんか要らないって…。下の村に、学校はあったし、家、貧乏じゃないのに…」
「何んだ、そんな事で家出したなら、一緒に家族を説得しに行ってもいいぞ。
女の方が、腕っ節が弱いんだから、学識や頭の回転で、勝負した方がいい」
「そんなんじゃないよ。学校に行く年に見えるか、私」
「うーむ、小学生には見えんが、高等部に入るなら、適当な年かな」
小娘は、急に笑い出した。
「先生、私を子供だと思って、説教してただね。そんなに若く見えるか」
「見えるんだ。十八くらいだろう」
本当は、十五、六に見えたが、この国の人間は、良く分からないので、多めに言った。
小娘は、おかしそうに、少し笑ってから、言った。
「先生、長くこの村に居るのに、何も知らないだね。
私は、今年で二十三になるし、一度、バイカラの織物商の所に、嫁に行っただよ。亭主が死んで、店もつぶれたし、あの人に身内もなかったから、戻って来たけどね」
鍋の荒熱が取れたので、脇へ置いたら、小娘は、隣に寄って、座った。
「何も知らねぇおぼこ娘じゃねえだから、好きにしてくれても、ええんだよ。先生も、国へ帰るまでは、独り身なんだろ」
手を取って、懐の奥の胸元を触らせた。
どうしよう…ふかふかだ。
「でぇい、止さんか。たとえ出戻りでも、二十三なら、わしから見たら小娘だ。大体、いい年した大人が、家出とは何事だ。もっと冷静になって、他の解決方法を考えろ、バカ者」
「先生…、言ってる事が、矛盾してる」
当然である。
四年振りに、あんなふかふかの乳なんか触ったら、うろたえるに決まっている。
どうしようかと思っていたら、アレクの足音が、五百メートルくらい先から聞こえた。
十秒後位に、戸口に人影が現れ、部屋の中を突風が吹き抜けた。
「スピードは合格点だが、停止した時の衝撃波を考えろ。火事になる」
「すみません、あわててました」
小娘が、私に抱きついているのを見て、アレクは少し、硬直した。
「パクチィさん…。お父さんが、こっちに向かってます。すごく怒ってましたけど」
「仕方ないね」
嫌そうに立ち上がって、つぶやいた。
「迷惑かけそうだから、帰るよ」
最初から、そうしてくれれば良かったのだ。
「また、来るかも」
来なくていい…と、思ったが、そういえば、どうして家出したのか、聞けなかった。
家出の理由は、後でアレクから聞いた。
父親が見つけて来た、再婚相手との縁談を、相手を見もしないで、断ったらしいのだ。
「会ってから断るならともかくなぁ…」
雑談をする閑があるのは、たいがい食事時なので、アレクも方針を曲げて、食事中におしゃべりをする様になっていた。
「サガは、この辺の風習が、分かってないよ。父親が進めている縁談を断るなんて、そんな親不孝な事、普通はしないよ」
「何んだと。結婚相手くらい、自分の判断と甲斐性で決めるものだ。それを見守ってやるのが、人の親というものだろう」
「僕もそう思うけど、この国では、まだ、理想通りには、行かないんだよ。特に、女性の権利は、欧米より低いしね」
まぁ、一足飛びには、行かないのだろう。
国が豊かになれば、いずれは解決する問題だと、思いたい。
特に、女を支持するつもりもないが、女でも強い奴は強いし(シャイナとか、マリンとか)男より優れた部分もあれば、劣った部分もある。
単なる個人差と、大して変わらない。
「だが、相手を知らないで断るのは、やっぱり失礼だぞ」
「ナリトに聞いた話だけど」
アレクは、友人の名前を、口にした。
「パクチィさん、反政府ゲリラと、付き合ってるって」
「こんな田舎に住んでて、どこでそういうのと知り合うんだ」
「バザーだって、聞いたけど」
「そんなのが、この辺に潜んでいて、軍や公安が動いたら、お前まで巻き添えになるぞ」
「そこまで大物じゃないと思うけど、用心はします」
アレクは、冷静に言った。
えらそうに説教かましたにも関わらず、それからいくらも経たない内に、パクチィとは、ちょっと人には言えない、深い仲になってしまった。別に、そういうつもりでは無かったのだが、成り行きと云うのはおそろしい。
たまたま、アレクが留守で、あれ以来久しぶりにやって来たパクチィと、茶なんか飲みながら、身の上話を聞いていたら、何となくそういう雰囲気になってしまったのだ。
「…って、わしは、弟子に見張ってもらわんと、品行方正な生活も出来んのか。まるで、神の様に、清らかなお方…とか呼ばれていた昔が、夢のようだ」
「先生、壁に向かって独り言いうの、不気味だからやめてくれんね」
パクチィは、ぼやいた。
服も着ないで、髪をほどいて、膝を抱えて座っていると、ずいぶん印象が違う。
ふっくらした顔立ちで、服を着ていたら、もう少し太って見えるのだが、実際には、ひどく細い。
「いっぺん浮気したくらいで、うろたえるもんじゃねぇだよ」
床に置いた服のほこりをはたいて、パクチィは言った。
「いっぺんでも百ぺんでも、浮気は浮気だ」
「なんだ。それならもう一回くらい、やっとくか?」
冗談を聞いている気分ではないのだ。
自分が、その場の雰囲気で、こんなに簡単に浮気してしまったのも、ショックだったし、クリスの事を考えると、いたたまれない気分だった。
多少は立ち直った様子だが、電話の向こうで泣いていたのを、思い出してしまったからだ。
まあ、クリスだって、浮気の一つくらいは、しているだろう。
いや…、あいつの性格から考えて、三つや四つで済んでいれば、いい方だ。
しかし、カバンの中に『楽しい家族計画』なんか、自分から入れてくれたりするくせに、私が本当に浮気なんかしたら、絶対に根に持つタイプなのだ。
「黙っておこう。人間誰でも、たたけばホコリくらい…」
「先生、その独り言、本当に不気味だから、やめた方がええだよ」
どうやって着るのか、ずっと謎だった、この辺の女が着ているスカートを、くるりと腰に巻いて、ブラウスを肩から羽織って(これは、普通の洋服のブラウスだった)髪の毛をまとめ始めた。
「考えてみれば、お前にだって、付き合っている男が居るという話なのに、こんな事になってしまって、すまん」
「全くだよ」
青い石の髪留めを付けて、髪の毛を上げてから、パクチィは言った。
「村の皆は、先生と私は、とっくにできてると思ってるだよ。よく、今まで何事もなかったもんだ」
「げえっ」
公認だったとは、知らなかった。
「何も知らねぇ娘を、男所帯にやる訳にはいかねぇしな。比較的、どうなってもいい私が、寄越されただよ」
「どうなってもいいとは、何事だ。自分の事を、そんな風に扱われたら、怒るべきだぞ」
「先生の事は、好きだから、別にええだよ」
最初の夏祭りで、花をもらったのを、思い出した。
悪い気分では、なかった。
「だが、今は、もっと別に、好きな男が居るんだろう」
パクチィは、暫く黙ったが、ふいに言った。
「本当はな、この村から、連れ出してくれる人なら、誰でも良かったのかも」
「わしは、お前をこの村から、連れ出したりは出来ないぞ」
「分かってるよ」
身支度をして、しゃんと背を伸ばしてから、彼女は言った。
「やりたい事は、待ってないで、自分でしなくてはだめだな」
「うん」
パクチィは、その後しばらく、台所回りの片づけをしてくれてから、家に帰った。
その時は、別に何も思わないで、彼女を見送った。
後から考えたら、もっと気を付けて、彼女を見ていてやれば良かったし、もう少し親身に、身の上話も聞いてやれば良かった。
でも、何もかも後の祭りだ。
大体、私のしでかす事は、こんな程度だ。
帰って行く時に、パクチィは、一度だけ坂を下りながら、振り返って、手を振った。
少し不思議だったが、私も小さく、手を振った。
パクチィ・スゥが失踪したのは、翌日の朝だった。
私が知ったのは、昼過ぎで、アレクと山奥で訓練を終えて、昼食を取りに戻った時だった。
村では、大きな騒ぎになっているらしかったが、家の前には、何人か、顔見知りの男が、たむろしているだけだった。
「先生と一緒に居てくれたらと、思ったんだけどな」
「書き置きか何か、ないのか」
「あの子は、読み書きは出来ねぇよ」
とりあえず、村まで行って、私らも捜索に加わる事にした。
街道沿いに、下の村まで捜したが、彼女を見た者は、一人も居なかった。町まで下りてしまったら、捜し出すのは、少し面倒な事になるだろう。
それから暫く、村の者が交替で彼女を捜したが、いつまでも、仕事の手を休めて、捜し回る余裕もなくて、余所へ行ったついでに、消息を訪ねて回る程度に、落ち着いてしまった。
「遭難した訳じゃねぇのは、分かってるから」
パクチィの父親は、半ばあきらめた感じで、そんな事を言った。
「先生も、もうちょっと気を付けてくれてたら、良かったんだけど」
いつの間にか、そういう話に、なっていたらしい。
「テロリストと逃げちまうくらいなら、先生に貰ってもらった方が、ましだったんだけどもな」
そういう事は、本人が決めるべきだろうと、内心苦々しく思ったのだが、本当に手を出してしまった後では、きつい事も言えず、一応詫びを言って、戻って来てしまった。
最後にパクチィを見たのは、冬の近づいたバザーだった。
朝から、私服と制服の軍人が、周囲を徘徊していて、やばい雰囲気だった。
逃亡中の王子様と、不法滞在の怪しい外人のわしらは、やましい事が多いので、素早く物陰に隠れた。
「あああ、雑誌と乾電池、なくなっちゃう。ラジオも本もなしで、冬ごもりするなんて、最悪だよぅ」
「来週のバザーがあるだろう。わしなんか、一週間禁煙だぞ、このままでは」
ふいに、広場の中央が、騒がしくなり始めた。
私服の軍人が、買い付けに来ていた、見慣れない一団を問い詰めていたと思う間もなく、爆竹が破裂する様な、妙に軽い音が響いた。
ずいぶん、物騒な人生を送って来たにも関わらず、銃声を聞いたのは、生まれて初めてだった。
露天に群がっていた群衆が伏せる中で、見慣れない一団が走り出し、ぱんぱんと、たて続けに銃声が起こり、最初に問い詰めていた軍人と、見慣れない一団の一人が倒れた。
日頃、聖闘士なら、銃弾くらい楽に見切れると思っていて、確かに弾道も、誰が何発発砲したのかも、分かったのだが、とっさに出来たのは、周囲の人間を、銃弾が飛び交っている瞬間だけ、結界で包む事くらいだった。
倒れた二人の人間は、すぐに死んだ。
テロリストの集団が、この付近に潜伏している…という話は、聞いていた。
物陰に居た、制服の軍人が飛び出して加勢し、テロリストの集団は、バザーで買い付けたのか、盗んだのか、その辺は良く分からない荷物を抱え、銃を持っている何人かが、荷物を運ぶ人間を援護しながら、木立の中へ、逃げ込もうとしていた。
荷物を運ぶ数人を、援護している一人と、ふいに目が合った。
こちらは、物陰に(職業軍人に、気付かれない程度には)隠れているのだから、目が合ったのは、本当に偶然だろう。
距離も離れているし、向こうから、こちらが見えたとは、思わない。
パクチィだった。
髪を短く切って、男の様な身なりをしていた。
自動小銃を、腰だめに乱射しながら、運び屋に方向を指示し(この辺に住んでいないと、知らない様な抜け道だった)走り去る一瞬に、目が合った。
ひどく緊張した表情で、しかし、目が合った時、確かに少し笑って、彼女は、仲間と一緒に、森の中へ消えた。